また、別の意味でモヤモヤするのは、メイがナギサさんに求めているものが恋愛でも恋人でもないように見えることだ。

モヤモヤが残る2人の関係性

 結局、メイはナギサさんを、便利な「お母さん」としか見てないのでは? と思ってしまう。その気持ちを恋愛感情にすり替えてタダで使おうとするのは、やはり「好きの搾取」ではないだろうか。

 本来、2人は恋愛以外の感情でつながる関係を目指すべきで、そこで家族や恋人といった既存の価値観に回収してしまったことに、現代社会における「呪い」の根深さを感じてしまった。

 おそらくメイとナギサさんの関係にいちばん近いのは、藤子・F・不二雄の漫画『ドラえもん』(小学館)の、のび太とドラえもんではないかと思う。

ナギサさんがいない生活なんて考えられない」と駄々をこねるメイは、ネコ型ロボットのドラえもんに甘えるのび太のようで、多部ちゃんと大森南朋なら微笑ましく見られたけど、生身のおじさんに、ドラえもんを求めるのは酷のような……。

 『逃げ恥』も恋愛関係にならない2人が見たかったと最後に思ったが、『わたナギ』にも同じことを感じた。ラブコメと社会批評性の両立は、なかなか難しいものである。

PROFILE●成馬零一(なりま・れいいち)●1976年生まれ、ライター、ドラマ評論家。テレビドラマ評論を中心に、漫画、アニメ、映画、アイドルなどについて幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。サイゾーウーマン、リアルサウンド、LoGIRLなどのWEBサイトでドラマ評を連載中。