自分にとっての「筒井道隆」
もちろん観る側の作品の好みや作品との出会い方による部分もある。
また、彼が90年代に大人気だったにもかかわらず、後に連ドラなどの露出を控えるようになったために、自身の記憶の中で「青々しい筒井道隆」のイメージが凍結されていることもあるだろう。
しかし、最も大きいのは、筒井道隆自身の醸し出す「生っぽさ」「身近感」によるところではないか。
穏やかで優しく見えるかと思えば、冷たく見えることもある三白眼と、声は張らないのに、常に何か言いたげに突きだしたり、ゆるく開いていたり、への字に曲げられていたりする口元。若いころから、淡々としていて達観しているじいさまのような雰囲気と、常にあがき、もがいているような、思春期のモラトリアム的香り漂う青さが同居していた。
その姿は、あるときは同級生のようでもあり、同僚のようでもあり。筒井道隆を振り返るとき、「好きだったドラマの役者さん」よりも、近くに感じてしまう人は多い気がする。
だからこそ、「人のよかった彼が、しばらく会わないうちに怖そうなおじさんになっていた」「いつでもグズグズ言ってた彼が、インテリヤクザになっていた」などという衝撃とともに、生々しい興奮を覚えてしまうのだ。
ちなみに、その大きな魅力の一端を担っているのが、独特の声だと思う。
少しくぐもっていて、柔らかさ・優しさと繊細さがある声は、今でも変わらず、ひと言発するだけで、思わずハッとさせられる。
『半沢直樹』で恫喝するシーンには、「声変わった」といったつぶやきもあった一方で、かつての彼を知る人たちの「やっぱり声が好き」「悪役でも声のトーンは優しい」というつぶやきは多く、さらに若い世代から「初めて見たけどよい声をしている」と言われるなど、“声“に惹かれる人は今も多いようだ。
大声を張り上げ、顔芸を繰り出し、積極的に笑いのマウントを取り合っているかに見える熱くこってりした出演者たちの中で、素で笑っていそうに見えるシーン(堺雅人×江口のりこのシーンなど)もある筒井道隆を、結局、令和の今も目で追ってしまうのだ。