「父と母と妹の4人家族でした。母はとても優しく料理が上手な方でした。

 親からの愛情という意味では恵まれたと思います。歯の矯正をしてくれましたし、視力矯正で病院に通わせてくれました。お母さんの料理も美味しかったです。妹とは幼いころは遊んでいましたが、だんだん疎遠になっていきました。思春期になると兄妹ってそんなものじゃないですか?」

 習い事などはせず、中学になると母親から塾に行かされたという。

「地域の総合進学塾へ行っていました。母親に言われて、なんとなく通っていた感じですね。父親は、仕事中心でしたので、子育てに関わっていませんよ」

 子どものときの白石も今と同様どちらかといえば受け身だ。自分から何かをしようとしたことはあるのだろうか。部活動について聞いても、

「小学校のときは陸上クラブ。中学にあがってからは1年のときは野球部、2年と3年のころは、陸上部。なかでも長距離をしていました」

 特別熱心に何かをやっていた様子はない。

家族は1度も面会に来ていない

 高校は商業科を選択した。

「このころ父親と仲が悪く、早く自立したかったんです。ただ思春期的なやつで、些細なことでケンカしました。“早くお風呂に入れ”とか」

 両親との間にも、強烈なエピソードはない。ごく普通の高校生といった印象だ。高校進学後は柔道部に所属する。

格闘技が好きで、年末のK-1の番組はよく見ていました。アンディ・フグが好きでした。中学でも高校でもボクシング部がなかったので、(高校は)柔道部に入りました。でも、1年でやめました。バイトを始めたんです。相武台のホームセンターや、もう閉店していますが、座間のスーパーです。当時の時給は850円でしたが、部活よりも楽しかったんです」

 格闘技が好きだというわりには執着せずバイト(カネ)を選ぶ。

 高校を卒業後、白石被告はスーパーに就職する。

「横浜市戸塚区に住むことになり、給料の手取りは14万円だったと思います。このころパチンコやスロットにはまってしまい、お金が足りませんでした。『タウンワーク』を見ていたら、手取り20万円の仕事が書いてあり“いいな”と思った記憶があります」

 その後、職場を転々とする。このころ両親は離婚し、母親と妹は家を出ていくことに。それ以来、ほぼ連絡はとっていないという。

 さらに気になるのは、拘置所に収監後、1度も家族が面会に来ていないというところだ。手紙のやりとりもないという。白石はそのことについて何も思っていないというが、少しだけ家族は自分と関係ない、とかばっているように感じた。