長年殺したかった父親の最期

 2003年、再び悪役として現場復帰する。横浜アリーナにおける低迷した全日本女子プロレス人気を少しでも盛り上げたいという思いだったという。

 この話もよく知られているが、ダンプさんがレスラーを志した理由の中には、苦労したお母さんを楽にしてあげたい、という気持ちがあった。

 どんなにつらい目に遭っても、辞めない理由のひとつにもなっていた。そしてダンプさんは本当に、お母さんに家を建ててあげたのだ。だから、いったん引退もできた。

「お父さんが乱暴者で浮気者で、ぶっ殺してやりたいと、いつも思っていました」

 お父さんへの殺意と、お母さんへの愛。自分がひたすら突き進む、本物の悪ではないが悪と呼ばれる道。なんだかもう、一途に悪役になるしかない気もする。

 お父さんとはしかし、晩年に和解した。

「なんかもう、朦朧としているお父さんを見舞いに行ったんですよ。この人は誰だかわかる、と看護師さんに私を指されて、ダンプ松本、って答えたんですよ」

 娘だ。子どもだ。ではなく。ダンプ松本。きっとお父さんは、テレビで娘を見ていたのだ。そしてひそかに応援し、誇りに思っていたのだ。

「去年の8月7日。父は安らかな顔のまま、87歳で大往生を遂げました」

 あの新木場の会場を、思い出す。あの中にはもしかしたら、ダンプ松本を殺したいと叫び、ぶっ殺すとバスを揺さぶったり家に石を投げたりした往年のファンも交ざっていたかもしれない。彼ら彼女らは何食わぬ顔で、ダンプさんに声援を送っていたか。

 殺気だったファンなど見当たらず、ひたすらダンプさんの還暦と40周年を祝い、ともに青春時代を思い出していた。 

 あの新木場の会場には、ジャッキー佐藤だけでなく、お父さんも見に来ていたのだろう。

 やっぱりリングに戻ってきた、ダンプ松本。やっぱり、極悪。

 とうにジャッキー先輩のお歳は越えてしまったが、お父様の年齢を越えても、現役の唯一無二の悪役として活躍していただきたいものだ。


 

特別寄稿 作家 岩井志麻子(いわい・しまこ) 1964年、岡山県生まれ。少女小説家としてデビュー後、『ぼっけえ、きょうてえ』で'99年に日本ホラー小説大賞、翌年には山本周五郎賞を受賞。2002年『チャイ・コイ』で婦人公論文芸賞、『自由戀愛』で島清恋愛文学賞を受賞。著書に『現代百物語』シリーズなど。最新刊に『業苦 忌まわ昔(弐)』(角川ホラー文庫)がある。