「愛人」と誤解され、初めての挫折

 これだけ仕事に熱を入れていたら、当然のごとく学校には行けない。「教養学科だった1・2回生のころは、まだ行っていました」と本人は苦笑するが、3・4回生のころはテストだけ受けて単位を取るような状況。そのサポートをしていたひとりが、親友の山本智香子さんだ。

私たちは文学部フランス文学科に在籍していましたけど、当時、利江ちゃんを授業で見たことはほとんどないですよ。1回生からの付き合いで、のちに旦那さんになる彼氏も、別の学部なのによく代返に来ていました。“利江ちゃんは自分のやりたいことをガンガンやる人だから”という話をした覚えがありますね」(山本さん)

 こうして仕事一直線の4年間を送った中村さんだが、無事に大学を卒業。バブル最盛期の1988年春にリクルートの正社員となった。

 配属先は東京本社の住宅情報事業部。しかし、彼女には結婚を約束した彼氏が関西にいたため、いきなり大阪に戻りたいと志願した。上司の答えは「営業成績で300%を達成したら大阪に帰してやる」。これを聞いて、並の新入社員ならあきらめるところだが、「絶対にやってやる」と思うのが中村さん。まずは、じっくりと策を練るところからスタートした。

「最初に3か月計画を立てました。1週間でターゲットを絞り込み、次の週は徹底的に相手企業を調査して、3週目から営業へ。その際には必ず相手先のメリットになるような提案も用意しましたね」

 戦略家らしい一面をのぞかせる中村さんだが、入社半年が過ぎようとしたころ、大失敗をしてしまう。8月分のノルマ達成に100万円の売り上げが足りないことが判明。9月に出稿予定だった広告費150万円分の前倒しを取引先の家具メーカーに打診したところ、色よい返事をもらえなかった。

 困った彼女はリクルートの先輩に相談。「(予告なく早朝に訪問する)朝駆けするしかないよ」との言葉に背中を押され、翌朝7時から担当部長の出社を待つことにした。

 いざ部長が現れると、中村さんは不安や緊張などの感情が爆発。突如、涙があふれ、それを多くの社員に目撃されてしまう。これが「愛人を泣かせている」というあらぬ噂を立てられる結果を招き、部長は憤慨。中村さんに「出入り禁止」を通告してきた。お詫(わ)びに行っても話を聞いてもらえなかったという。

自分の成績のためだけに動いていたんですよね。相手から見たら、本当にウザい(苦笑)。お客さんにメリットのない営業を絶対にしてはいけないんだと痛感したのが、あの大失敗です。お客さんの立場で考えないと商売はうまくいかないと思い知り、この一件以来、やり方をガラリと変えました」

 これを境に、徹底的に相手側に立った企画や提案をするようになった中村さん。成績はグングン上がり、約束の300%を達成。入社1年目にしてMVP獲得という、全社の営業担当で最高評価を得るに至った。