東大合格の日は自宅に帰らず
「英語がいちばん成績よかったけど、やっぱり身にはついていないんです(笑)。テスト勉強ってまじめにやればできるけど、やっぱり本物の力は、おもしろがって自分で問いを立てたり考えたりしないと身につかない。
数学は、小学校5年生のころから問題を作っていて、あるとき塾の先生に問題を出したら、先生が僕が考えていたものとは違う答えを出したんです。僕の答えも正しいのに、違う答えがあった。そこに本質的な面白さを発見して、それから算数の問題を作るのがすごく面白くなりました」
中学、高校と成績もよく、東大へ。何がなんでも東大というよりも、受けてみたら合格したとサラリと話す。
「たまたま東大に入ったけど、どこでもよかったんですよ。教員になるつもりだったけど教育学部に行こうとも思わなかったし、何も考えてなかった。数学が好きだから入って、勉強もせずにテニスのサークルに明け暮れた4年間でした。親友ができたのも大学時代。あの時期は毎日、本当に楽しかったな」
東大の合格発表の日、結果を見た井本さんは、すでに結婚して家を出ていた姉の詠子さんの家に公衆電話から電話をした。
「えーこ(詠子さん)、俺、受かった。このまま友達の家に泊まって今日は家に帰らないから。よろしく」
家族にとって、井本さんが東大に進学することは喜ばしいことだった。それは当然のことでもあるが、詠子さんは、弟がそのことを嫌がる気持ちもよくわかっていた。
「ハルは昔から、頭がいいとか何かができるということでほめられるのが大嫌い。なのに、父も祖父も、ハルがすくすく育って栄光学園や東大に進学することが自慢だったんですよね。近所の人にもうれしそうに話すし、お祝いだって大騒ぎしちゃうから嫌だったんだと思います。でも皮肉なことに、掲示板の前でハルが胴上げされてる写真が偶然、新聞に載って、バレちゃって。それを見て両親は喜んでましたけどね(笑)」
兄の温也さんは脳性小児麻痺で、松葉杖を使っていた。井本家では、家族はみんな障害について全く特別扱いすることなく、きょうだいも対等な関係だった。養護学校(現特別支援学校)の友達が来て一緒に遊ぶことも、井本さんや詠子さんの友達が温也さんと遊ぶことも自然なことだった。きょうだいゲンカだってお互いに手加減しない。「優しくしなさい」「手伝ってあげて」などと言われることも全くなかった。
しかし、井本さんは、そんな環境の中で子どものころからずっと考え続けていることがあった。
「僕、走るのも速かったんですけど、成績がいいとか足が速いとか、そういうことは人生にとって本当に価値があることじゃないと思ってた。なぜかみんなにほめられるけど、僕がすごい人間だから足が速くなったんでも頭がよくなったんでもない。それが偉いなんて全然思わなかった」
井本さんは幼いころ、祖父母から天国や地獄など、目に見えない世界の話をよく聞かされていた。「死んだらどうなるんだろう」と考えることも多かった。
「自分がどっちに行くのかなってときどき考えてましたね。足が速いとか頭がいいから天国っておかしいでしょ? だから、持って生まれたものに、いいとか悪いとか、そんな不公平なことはあるはずがないという感覚がずっとあった。努力して手に入るものも同じです。努力できる環境がたまたまあっただけのこと。僕がたまたまこんなふうに生まれただけで、ほめられることもイヤだった」