サークルの人気者“イモニイ”
姉の詠子さんは、その話を聞いて、ふたりの弟についてこう話してくれた。
「アツ(温也)は、気持ちはすごく活発で、たぶん健常者だったら好きなところへビューンと行ってしまうような子だったと思います。だから、ハルをうらやましいと思うこともあっただろうし、ハルもそれを感じていたんじゃないかな。
何かと親戚で集まって大勢で食事をすることも多かったけど、いつもハルが面白いことをして、みんなを笑わせていましたね。ほめられるのは嫌いだけど、そうやってみんなをほぐしてくれる存在でした」
東京大学の入学ガイダンスで、井本さんは、知り合いもなくポツンとひとりでいた山根隆男さん(53)に声をかけた。
「僕は2浪して京都から上京してきたから、知り合いもいなくてひとりで座ってたんです。あいつは友達に囲まれてワイワイ楽しそうでしたね。でも僕を見つけて声をかけてくれました。第一印象もその後もずっと、裏表のないスレていない感じ。
それ以来、大学時代はずっと一緒に過ごしました。研究室もサークルも、テニスのペアも一緒。あいつはひとり暮らしの俺の家に入り浸って、家庭教師のバイト先からうちに“井本先生いますか?”って電話がかかってくるくらいでした」
同じテニスサークルで親友になった内山堅介さん(52)も、当時の様子を教えてくれた。
「東大って、大学デビューのやつが8割9割いるんですけど、あいつはホントにピュアで素直。最後まで全く変わらないやつだった。よく、からかったりしていましたね。あいつは人をとにかく喜ばせたい。いじられるのもOKだし、歌もうまいし、盛り上げ役。間違いなく人気者で、あいつがいたから僕たちも大学時代、本当に楽しかった。
“イモニイ”という呼び名も、大学で後輩から呼ばれるようになったんです。テレビ(NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』)で見たあいつと生徒とのやりとりなんて、サークルでの俺たちとのノリとほとんど同じです(笑)」
授業はどれも単位が取れるギリギリの出席日数で、テニスコートの予約をするため出席の返事をしてすぐに教室の窓から抜け出していた。テストではクラスメートに助けてもらいながらなんとか単位を取得した。それでも、教職のための授業は欠かさず出席していたという。
「井本は、世の中のしがらみとか、世間を上手に渡っていくとか、大人の忖度とは無縁の人間。企業とか絶対に向いてない。学生時代から子どもも好きだったし、教師は合っていますよね。今、すごく楽しそうでよかったなと思います」(山根さん)
天真爛漫だった井本さんが「真っ暗闇だった」というのが教員になった20代の数年だ。外では明るくいつもと変わらない様子で、友人や離れて暮らす家族からは何も気づかれないほどだった。
栄光学園の先生たちにも相談することなく、ひとりでずっと抱え込んでいた。教師としてというより、人としての自分に葛藤していた。
それまでは「自分のことをわりといいやつだと思っていた」はずだったが、公私において、自信をなくすきっかけとなることがいくつも重なったのだ。