教員生活で味わった「人生の暗闇」
栄光学園の教師になって1年目、大学時代から長く付き合っていた彼女にふられた。「大切にしていたつもりが、実は自分のいいようにコントロールしてたんじゃないか」と、ただただ彼女に申し訳なくなった。それまであった自分のあらゆる自信が一気に吹き飛んだ。
学校では新人の教員がいろいろな提案をしても、会議の議題にさえ取り上げてもらえない。自分では生徒たちに自由でいてほしいと思う一方、生活指導の担当になったときには服装を注意したり、厳しく叱ることも時折あった。
叱らないようにしようとする自分の行動さえ、「本当はイラッとしているのに、生徒によく思われたいから大目に見ているだけじゃないか」と思い始めた。
学校では笑顔で過ごし、生徒たちの前では明るくいい先生として振る舞える。生徒や保護者から慕われて、「井本先生は素晴らしい」と保護者に言われても、「本当の自分はこんなんじゃない」と自分のエゴが許せない。
ひとり暮らしの家に帰ると、自分で自分のことを罵倒する日が続いていたという。
教員7年目のある朝、起きると熱があった。学校に電話をして休むことを伝えると熱が下がる。そんなことを数日繰り返し、ふと気がついた。
「俺、不登校の生徒と同じだ」
慌てて着替えて学校に行き、午前中ずっとカウンセラーに話を聞いてもらった。抱えていたことを一気に吐き出すと、カウンセラーがこう言った。
「井本さんの中には、ものすごくおおらかで自由な軸と、ものすごくストイックな軸がある。それがぶつかってるから苦しいんだね。本当の自分はどっちだと思う?」
井本さんは答えられなかった。
「じゃあ、子どものころの井本さんはどっちだったの?」
それにはすぐに答えられた。
「自由でおおらかだった」
そして、思い出した。
「僕は本来、正しいとか正しくないとかどうでもよかった。人を笑わせたり、驚かせたり、緊張を解くことにしか興味がなかったんだ」
カウンセラーと話したことで、「この苦しさはずっと続くわけじゃない。いつか楽になるときがくる」、そう思えるようになり、少し楽になった。それでも、問題を抱えている生徒を担任することが続き、生徒に寄り添える先生でありたいという理想と、自分のずるさとの葛藤の中での苦しみは続いた。
「うわべで生徒と触れ合うことはできても、心の底から本当に思っていないと、その子の本当の力にはなれないんです。不登校の生徒や、家庭環境や本人の状況がとても難しい生徒に力になれない自分が嫌になっていた。だけど、あのときがあったから今の僕がある。そう思います」