「教師だから」という枠からの解放
井本さんが「真っ暗闇だった」と呼ぶ時期を、当時、校長として見守っていた神父の関根悦雄さん(70)は、こう振り返る。
「彼は与えられた仕事はまじめに一生懸命やる。でも天真爛漫な面も見受けられる。そして、疲れていても悩んでいても、明るく振る舞うところがあるんです。頼まれ、やると決めるととことんやってしまうので、そのあたりのバランスも難しかったと思います」
井本さんが担任を受け持ったある生徒が留年をしたときのことだ。責任感から、「勉強しろよ」「ちゃんとやっとかないとダメだぞ」などとその生徒に声をかけていた。しかし、その生徒は学校をやめてしまった。
「教員としてその生徒のためを思っての行動だったけど、それがさらに彼を追い詰めたんじゃないかと思いました。そこで、自分が人としてやりたくないことはもうしないと決めました。彼がそのことを教えてくれたんです」(井本さん)
それ以来、「教師だからこうするべき」という枠から解放された。生徒たちに服装を注意し、厳しく指導することはなくなった。学内やライブハウスなどで歌ったり、藤沢の養護施設に学習支援に出かけたりするようにもなった。
立場に縛られず、子どものころの自分のままで、生徒たちにちょっかいを出す。すれ違いざまに脇腹をチョンッとつついたり、肩や頭をポンッと軽く触ったり。愛情を振りまきながら校舎を歩く。
井本さんを見つけた生徒たちが、「イモニイ!」「パンツ見えてるぞ!」「早くお嫁さんもらえよ!」と声をかけると、その場にいるみんながドッと湧く。「イモニイ」の周りにはいつも子どもたちの笑顔があふれた。
気がつくと、自分のままで子どもたちに接することができるようになっていた。
「私の教員時代にも退学した子はたくさんいますが、大事なのは栄光を卒業することではなく、その生徒が自分として育っていくことです。何より井本さんは人が大好きですね。学校はどうしても生徒の評価をしなければならない場所ですが、それ以前に人として愛することが大切で、彼はそれができる。
栄光学園のMEN FOR OTHERS、WITH OTHERS(人のための人、人とともにある人)ということを彼は実践している。素晴らしい卒業生であり、よい教員ですよ。生徒たちと友達のように近しい関係も、うらやましいくらいです」(関根さん)
生徒たちと深く関わり、苦しみながら、自分自身を見つめ直す井本さんがいたからこそ、今のような子どもたちへの視点が培われてきたのかもしれない。