ホントに嫌なリーダーだったと思います
藤崎さんが誕生したのは1966年。同年の干支は丙午(ひのえうま)で、「この年に生まれた女の子は気性が激しい」という言い伝えがある。2人の兄と妹のいる4人きょうだいの3番目である彼女は、やはり強くたくましく育った。
父・山本賢太郎(故人)さんは墨田区議から東京都議になった政治家だが、当時はせんべい店や不動産業、保険代理業など幅広い仕事を営んでいた。こうした事情もあり、生家は日常的に人の出入りが多く、にぎやかだった。長女である忍さんは母・久子さん(87)の家事を手伝いながら、政治家一家の人間としての立ち居振る舞いを自然と学んだようだ。
小学校は父の教育方針で、2人の兄と同じ青山学院初等部を受験して入学。地元の墨田区向島からは片道約1時間と遠い距離を通った。加えて、富裕層の子女が集まる特殊環境ということもあり、下町育ちの少女は微妙な違和感を覚えたこともあったという。
「持っているものや身につけているものが全然違うし、お誕生日会のゴージャスさにもビックリした記憶があります。ギャップを強く感じた中等部のころは学校に行く足が少し重くなったこともありました」
苦笑いする彼女だが、2番目の兄が入っていたラグビー部のマネージャーとして奮闘。明るく社交的な性格で友達にも恵まれた。
現在に至る親友・高見由美子さんは、中等部で出会った仲間のひとりだ。
「忍とは別クラスだったんですが、彼女に初等科からのグループに入れてもらって、徐々に話すようになりました。あるとき私がひとりでいたら“ユンちゃん、寂しそう”とふと声をかけてくれた。“ああ、いい人だな”と感じたのをよく覚えていますね」
高見さんとは意気投合し、高等部では一緒にハンドボール部に入った。
青山学院の中でも「特に本気度の高い部」で、藤崎さんはキャプテンとしてチームを牽引。試合で攻撃陣が1点も取れずに負けたのに腹を立て、帰りの電車でひと言も口をきかなかったこともあるほどの、負けず嫌いだった。「ホントに嫌なリーダーだったと思います」と本人は申し訳なさそうに言う。
けれども、高見さんのほうは「忍がまじめに頑張っていたのは全員が認めていたし、その姿勢は今につながっていますよ」と話す。
「忍は全員が楽しんでいるか、幸せそうにしているかをよく見て、気配りしていました。そのやさしさは印象に残っていますね」(高見さん)
部活動で青春を謳歌したあとは青山学院女子短期大学に進んだ。4年制大学も考えたが、1、2年生が厚木キャンパスに移転したころで、「下宿はちょっと」と両親が難色を示したため就職率のいい短大を選択した。
しかし藤崎さん自身には、「就職してバリバリ働くより、お嫁に行って家庭に入りたい」という願望があった。両親の影響からか、自営業者と結婚して一緒に家を切り盛りするような人生を歩みたいと考えていたという。
そんなときに出会ったのが後に夫となる藤崎繁武(よしのり)さん。当時は国会議員の秘書だったが、墨田区議選への出馬を決意。父・賢太郎さんのところに出入りしていたのだ。