順風満帆の中、夫の都政落選と心筋梗塞
藤崎さんは照れながら、なれそめを明かす。
「出会ったのは高校生のころだったんですが、短大入学祝いの食事会に誘われたのがお付き合いするきっかけでした。彼は12歳上でおいしいお店をたくさん知っていて、それまで食べたことのない料理をいっぱい食べさせてもらいました(笑)。
地方分権の重要性を唱えるなど政治家としての志も明確で、本当に尊敬できる人でした。私も政治一家の娘ですけど、地道な活動をするのが地方議員の日常。そんな姿を見て信頼感も高まりましたし、ずっと近くで応援したいと思えたんです」
交際は順調で、藤崎さんが短大を卒業した'86年に繁武さんが墨田区議に当選。ほどなくして2人は結婚した。彼女は就職活動も会社勤めもすることなく、政治家の妻としての人生をスタートさせ、'90年には、ひとり息子の剛暉(こうき)さんを出産。子育てに邁進(まいしん)した。
藤崎さんの両親が近くに住んでいたこともあり、初めての子育ての味方は多かった。そのうち「自分が通った青山学院に息子を通わせたい」という気持ちが強まり、幼稚園受験の準備を始めることに。
高見さんが当時の様子を打ち明ける。
「忍もお受験ママとして大変そうでした。あるとき、家を訪ねたら幼児教育の資料が段ボールいっぱい入っていて、これを全部やるのかと驚いたくらいです」
藤崎さん自身、初等部の受験経験があるとはいえ、親の立場で幼い子どもをサポートするのは精神的にナーバスになりがちだ。それでも、長男は根気よく塾に通い、無事に合格を果たす。
そんななか、剛暉さんが熱中したのが野球だ。小2から本格的に始め、藤崎さんも全力で応援した。ただ、ハンドボールに励んだ高校時代もそうだったが、ときに熱が入りすぎる傾向がある。
息子が気の抜けた様子を見せると「じゃあ、やめれば?」などと、きつい言葉が出ることも何度かあったようだ。それでも、剛暉さんは母の一生懸命さを常にありがたく感じていたという。
「母が厳しいことを言うのは、指導者への立ち居振る舞いや礼儀作法、野球に対する姿勢が中心。その大切さは僕もわかっていたので、すんなり受け入れられました。弁当や食事作り、洗濯など身の回りのことはすべてやってくれましたね。
父の選挙期間中は猛烈に忙しいんですが、そういうときも決して手を抜かず、学校行事やPTAにも来てくれた。いつも元気なのがウチの母なんですよ」
そんな藤崎家に'05年7月、予期せぬ出来事が起きる。墨田区議を5期務め、満を持して都政に進出した繁武さんが落選。その直後、憔悴の大黒柱が心筋梗塞に襲われる。
救急車で病院に運ばれ、ICUに2週間入るほど重症で、当面は治療専念となった。藤崎家には私学に通う息子がいて、収入が途絶えたら家計が回らない。妻である忍さんが働かざるをえなくなった。