轟音と衝撃──爆発事故に見舞われた日
2007年6月19日、東京・渋谷──。君江さんは、その1週間ほど前から渋谷区松濤にある女性専用の温泉施設で、エステやネイルなどの施術をするスタッフとして働きだしていた。
施設には、温泉が備えられた本館のほかに別棟があり、そこには従業員の休憩室兼ロッカールームがあった。
その日の午後2時前。君江さんは親しくなった同僚のひとりとコンビニでお弁当を買ってきて、休憩室に入った。テーブル席には、まだ顔と名前の一致しない3人の女性が座って食事をしていた。
「奥で食べようか」
君江さんたちは、奥に並ぶロッカー前のスペースの床に座り、お弁当を開いた。そのときだった。
突然、轟音(ごうおん)とともに、ものすごい衝撃が襲いかかった。
“何? いったい”
気がつくと、君江さんは爆風で飛ばされ、ロッカーと壁に挟まれていた。身動きが取れない。一緒にいた同僚は、陥没した床から地下に落ちたようだった。
“これってここだけ? 東京全部? それとも日本?”
不思議と意識はハッキリしていた。屋根はなくなり空が見えている。両手でなんとかガレキをかき分け、自分の足を見つけたが、“あれ? 誰の足だろう”と思った。感覚がまったくなかったからだ。
やがて外から人の声が聞こえてきた。
「大丈夫か!? 今、助けを呼ぶから!」
そのとき、初めて彼女はこの施設の事故だったことに気づいた。足の感覚はなく、とにかく血だらけで、どこがどうなっているかわからない。
レスキュー隊が到着し、君江さんに声をかけた。返事をして「下にもう1人、いるんです」と伝えると、隊員たちは地下に下りて同僚の救助に向かった。
君江さんは、ぼんやりとその状況を見ているうちに、ふと学校に行っている中学1年の娘のことを思い出した。
“あの子は鍵を持っていないから、帰ってきたときに、うちに入れない!”
そう心配した彼女は、レスキュー隊員に夫の携帯電話の番号を伝えた。隊員が電話をしているところまでは覚えている。しかし、そこで意識は途絶えた──。
事故当時、夫の克明さん(48)=当時(35)=は六本木のスタジオにいた。老舗の声優プロダクションに勤務する彼はゲームの収録作業中だった。突然、携帯電話が鳴った。