「一生寝たきり、よくて車椅子」の宣告
克明さんは、携帯電話を耳に当てたままロビーに飛び出した。空にはバタバタとヘリコプターが飛んでいる。
「何だ、これは?」と思い、テレビをつけると事故現場の映像が映し出されていた。その建物は原形をとどめておらず骨組みだけになっている。
「それで、妻はどんな状況ですか?」
「今、救急車で病院に搬送しています」
克明さんの頭の中をさまざまな想像がめぐっていた。
「とにかく詳しいことは病院についてからじゃないと言えません」と隊員が言う。
「今、意識はあるんですか?」
「ええ、意識はあります」
そして勇気を振り絞って聞いてみた。
「手足はついてますか?」
「ついてます。それ以上の詳しいことは病院で」
病院名を聞いてメモしようにも、手が震えて書けない。
これはのちに「渋谷温泉施設爆発事故」と呼ばれた悲惨な事故だった。温泉を汲み上げた際に噴出する天然ガスが地下にたまり、何らかの火が引火してガス爆発が起きたとされている。
君江さんたちがいた別棟は全壊、周辺の住宅やビルなども爆風や飛散したガレキで窓ガラスが割れ、屋根瓦が吹き飛んだりした。
休憩室でテーブルにいた3人は爆風で吹き飛ばされ、命を落とした。君江さんともう1人の同僚は、床に座っていたために吹き飛ばされず、重傷を負ったもののかろうじて生き残ったのだ。
「背骨の1か所を粉砕骨折して、それが脊髄神経に当たってしまい、そこから下の感覚がすべて麻痺しています。おそらく一生寝たきりか、よくて車椅子状態で、2度と歩くことはできないでしょう」
病院に駆けつけた克明さんに、医師はこう告げた。
脊髄損傷。骨折13か所以上。基本的に下半身はまったく動かず、痛みも感じない。
脊髄損傷とは、交通事故などで脊髄がダメージを受け、運動や感覚機能などに障害が生じる状態を指す。国内の患者数は10万人以上、さらに毎年、約5000人の患者が新たに発生している。現代の医学では、脊髄損傷による麻痺を元どおりには治せないというのが定説だ。
君江さんが言う。
「医師にさんざん、“命があっただけでも奇跡なんですよ”と言われました。今となったら、そうなのかなと思えるけど、当時はピンとこないのが正直なところでしたね」
2か月ほど入院し、そこからリハビリの専門病院に転院することになった。克明さんと君江さんの母が転院先を訪ね、医師に「どうにか立てるように、1歩か2歩だけでも歩けるようになりたい」と、希望を伝えてみた。だが、医師は鼻で笑うように「それは無理ですが、動かせる両手を鍛えて、みんなでバスケをできるくらいになればいいじゃないですか」と言うだけだった。