幼少期の速読ぶりを母は褒めずに叱った
1962年の大みそか、万智は大阪府門真市に暮らす父・好夫、母・智子(のりこ)の長女として生まれた。父は松下電器に勤める研究者。目を閉じると幼いころ、一心不乱に博士論文を書いていた父の後ろ姿が今も浮かぶ。
母は無類の本好き。本を読み耽(ふけ)るあまり、夕飯の支度を忘れそうになったこともしばしば。そんな母に似たのか、万智も絵本の虜(とりこ)になる。
「まだ文字も読めないのに3歳のとき、母に何度も読んでもらったノルウェーの昔話の絵本『三びきのやぎのがらがらどん』を1冊、丸暗記。ひとりで絵本を読むまねをしたりして遊んでいました」
小学校に上がると、子どもたちに家を開放していた近所のハイカラなお宅に上がり込み、『長くつ下のピッピ』といった童話から世界文学全集まで1日に2、3冊を読破。その速読ぶりを母は褒めずに叱った。
「母からは“本には書いた人がいる。雑に読んだらどう思うかな”と言われたんです。本に作者がいることを意識して、丁寧に言葉を追いかけるようになりました」
その一方でスポーツは大の苦手。かけっこは常にビリで、逆上がりはいまだにできないままだという。
そんな万智に恋の季節が訪れたのは、中学1年生のとき。恋の歌を詠ませたら天下一品と言われる俵万智に、“憧れの君”との出会いが待っていた。
背が高く優男のその相手は、韓流スター、キム・ヒョンビンのような顔立ちを西洋に寄せた超イケメン教師。バレー部顧問のスポーツマンで、流暢(りゅうちょう)に英語を操る森田準二先生の授業は、まるで青春ドラマのワンシーンを見るようだった。
もちろん、手をこまねいて見ているだけではなかった。
「中1の春休みにみな、英検4級を受けるんですけど、それでは目立たないと思って、私はいきなり英検3級にチャレンジして合格。英語係に選ばれて、カセットデッキを持って授業の準備を手伝うときなど、もうルンルンでした」
中学2年生のとき、福井県武生市(現・越前市)に転校。友達づくりに苦労したことで、言葉への関心が高まる。
「国語の授業で当てられると大阪弁が抜けきれず、クスクス笑われる。福井弁を覚えて使ったらみんな喜んでくれました。言葉って大事だなと思った最初の体験ですね」
やがて県内屈指の進学高・藤島高校に入学。そこで、初めて短歌と出会う。
「文学の香りのする田辺洋一先生に憧れ、先生が顧問を務める演劇部に入部して、さらに週1回行われる短歌クラブにも籍を置きました」
君を想いぼんやりいじる知恵の輪のするりと解けてため息をつく
歌人としての俵万智のスタイルはすでにこのころ、完成していたのかもしれない。
写実的な歌風を特徴とするアララギ派の田辺先生には「君に短歌は向いていない」と言われショックを受けたが、「友達の短歌を読み解く力は素晴らしい」と褒められた。