「絶対に失恋しない恋愛」
そんな万智が高校2年のとき、リアルな失恋を経験する。
「相手は、生徒会で知り合った1年先輩。チェッカーズの藤井フミヤ似のステキな人でした。相手から交際を申し込まれ付き合ったのもつかの間、私の修学旅行中に3年生の女子に奪われて。“いちばん好きな人じゃなくなったから、ごめん”と言われてしまい、ア然としました」
それでもいちばんを目指そうと、健気に手紙を書く万智。結果は火を見るよりも明らかだった。
「勉強は頑張ったぶん、目に見えて成績が上がる。でも恋愛は違う。人生には全然違う物差しがあることを、初めて思い知らされました」
そして先生への憧れと現実の恋は違うものだということも、このとき悟った。
「これまで先生への憧れをエネルギーに勉強に打ち込んできました。考えてみれば一生懸命な生徒をサポートするのは、先生として当たり前のこと。たとえるなら、2人の関係は絶対に失恋しない恋愛のようなもの。それに引き替え現実の恋愛は努力してもダメなものはダメだとわかりました」
失恋のショックで学年10番以内だった成績も急降下。
そんな恋の悩みを聞いてもらいたくて、田辺先生に相談の手紙を書いた。すると「君の手紙には、一文字も相手を責める言葉が出てこない」と感心された。この物事を肯定的にとらえる性格が後に、歌の中でも表現されていく。
『先生』との運命の出会い
失恋の痛手から抜け出せなかった万智は、受験勉強には身が入らず、指定校推薦で早稲田大学第一文学部に入学。言語学に興味を抱き、将来は辞典を作る仕事に就きたいと漠然と考えていた。
ところが大学2年生のときに受けた「日本文学概論」の授業で、衝撃を受ける。
「“寺山修司が亡くなったので今日はテキストを使わず寺山の話をします”と言って盟友でもあった歌人・劇作家の寺山修司を熱く語る姿がカッコよく、引き込まれました」
このとき、教鞭をとっていた人こそ、青年時代はラグビーやボクシングに熱中し、ダイナミックな肉体感覚を詠む歌人・佐佐木幸綱。
佐佐木先生の歌集を手に取りページをめくっていくうち、短歌の三十一文字の世界に改めて魅せられていく。
──私も短歌を作ってみたい。
その衝動を抑えきれず、話しかけることもできない万智は毎日、先生にファンレターを書き続ける。すると数週間後、「とにかく五七五七七の文章を書いて持っていらっしゃい」という返事が届く。
さっそく、30首の歌を持って行き、翌週も、その次の週も短歌を作っては佐佐木先生のもとを訪ねた。
その様子を先生は後にこう振り返っている。
「あふれるように、という表現ではまどろっこしい。噴き出すように短歌ができるようであった」
手紙には愛あふれたりその愛は消印の日のそのときの愛
この歌は自分でも気に入り雑誌『短歌』に投稿。初めて活字になった俵万智のデビュー作である。
「もし佐佐木幸綱に会わなかったら。もし、佐佐木幸綱が歌人でなかったら。それに答える言葉を私は知りません。考えるのがこわい」
そのこわさを感じるとき、改めて“出会い”というものの重さを噛みしめる。
「先生は、『サラダ記念日』を出版した後も“君は心の中の音楽を聴ける人だから、何があっても大丈夫だよ”と言ってくださって。その言葉に、ずっと支えられていましたね」
国語学で卒業論文を書くつもりが短歌に出会い、気づけば研究や学問より作るほうが面白くなっていた。