「永遠に所有するとかありえない」
『サラダ記念日』で現代歌人協会賞を受賞。歌人として認められた万智は、4年後の1991年に第二歌集『かぜのてのひら』を出版。
四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら
「目には見えないけど心には映っているものを詠むのが短歌。佐佐木先生のアドバイスもあり、この歌集では意識的に技巧を模索、集中して書くことも心がけました」
短歌以外にコラムや紀行文の仕事なども精力的にこなすようになっていた。『週刊朝日』のグラビア連載「ちいさい旅みーつけた」では月に1度、全国各地へ旅に出た。同行した元・朝日新聞記者・奥村晶さんは、こんな場面が印象に残っているという。
「地方の商店街や市場の取材でも飾らない性格の万智さんは、地元に溶け込むのが早かった。若くして教科書に載っていたので、取材先で実際の万智さんを見て“まだ生きてらっしゃったんですか?”と驚かれる人もいました」
焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き
デビューから10年。やがて30代を迎えた万智に転機が訪れる。1997年には、意欲作『チョコレート革命』を上梓。恋愛相手の子どもとの対面を予感させる歌をはじめ、関係性が複雑になる大人の恋愛の気づきを詠み、同年代の女性のモヤモヤした気持ちに見事、風穴をあけた。
「母の世代は結婚して子どもを産むのが幸せとされた。でも私が20代30代のときは、人生の選択肢を少しずつ手にしていった時代と重なります。結婚を絶対しなきゃいけないプレッシャーはなかった。結婚で相手との関係がよりよくなるなら、してもいい」
そんな吹っ切れた思いは、30代後半で一層強くなる。
新宿ゴールデン街のバー『クラクラ』で時給1300円のバイトを始めたのも、このころだ。
「30代後半になったときは、すごい解放感があって。“大人だから”ではなく、“大人なのに”って言われることをやりたいと思っていました。大人なのにバイト。カウンターで料理を作ったりして、すごく楽しかった。焼きうどんを作るのがうまくなりましたね」
優等生と呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球がくる
そしてママ業を楽しんでいた歌人・俵万智にも、そんな一球がくる。
時折、飲みながら話す機会もあった前出の小山さんがある日、彼女の異変に気づいた。
「一緒に芝居を見た後、食事に近くの店へ入ったら、お酒好きの俵さんに“今日は飲まない”と言われてね、びっくりした。その後、バイト先の『クラクラ』でゆったりした服を着ていたものだから“俵さん、妊娠しているの?”と聞いたら“暑いから”と笑ってごまかされてしまった」
それから少しして《母になります》という親しい友人あての知らせとともに「事前に出産を当てたのは、小山さんだけです」とショートメールが届く。
まじめで勉強好きの優等生がかっ飛ばした渾身のホームラン。
「チャンスがあれば子どもは産んでみたいという思いがありました。母からも“子育ては面白いわよ”と言われていました。40歳のラストチャンス。迷いはありませんでした」
2003年11月、40代で男児を出産。相手には負担をかけたくないため、父親の名前すら公表せず、シングルマザーになる道を選んだ。そこには独特の恋愛観がある。
「嫉妬心とは無縁で、所有欲もない。だって無理でしょ。所有することが目的じゃないし、永遠に所有するとかありえない。その人と豊かな時間を過ごせればいいと思う」
つまらない相手を所有するくらいなら、むしろ素晴らしい人をシェアするほうが断然いいとすら思っている。そこに歌人・俵万智の矜持がある。
「私はいいところを見つけるのが得意だから惚れっぽい。相手のいいところを見つけて好きになれば、相手もいいところをこっちに見せてくれる。
別れちゃった人とも、もっと長く付き合っていたらどうなっていたか。あったかもしれない人生があるって悪くないよね」
母となった万智。子どもを得た歓びを2005年に出版した第四歌集『プーさんの鼻』で、高らかに歌う。
バンザイの姿勢で眠りいる吾子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ
妊娠、出産、子育ての不安など微塵も感じられない渾身の一首。この歌集には、わが子の行動をまねて本をかじってみせる微笑ましい万智の姿も詠まれ、おかしみすら覚える。