「愚かな母と言うならば言え」
しかし、睡眠もまともに取れない育児に悪戦苦闘。現実の子育ては思いどおりにいかないことも多かった。
「本当に大変で、仙台に住む母や名古屋に住む叔母に交代で来てもらったこともありました。使えるものはなんでも使う。“助けてー”の勇気は子どもが教えてくれました」
幼子を連れて東京を離れる決心をしたのは、幼稚園入園を控えた2006年のこと。
「見に行った都内の幼稚園にはどこにも土の庭がない。息子を土の園庭で思いっきり遊ばせたいと思いました。
自分が東京にいる理由はお芝居を見ることと、お酒を飲みに行くことしかない。だけどこの2つ、子育てしていたら、そもそもできない」
そんな思いから両親が終の住み処とする仙台に引っ越そうと決心。
5年後、新天地での生活にも慣れてきた2011年に東日本大震災が親子を襲う。
東京の新聞社で会議に出ていたら、「仙台で震度7の号外が出ます!」という情報に接し身体が震えた。
幸い、家族は無事だったものの、交通機関はすべてストップ。5日後に飛行機とバスを乗り継ぎ、やっとの思いで仙台にたどり着いた。
家族との再会もつかの間、東京電力福島第一原発事故のニュースと余震のおそれを知り、着の身着のままで仙台を離れる決心をする。
──とにかく、西へ。
山形空港から、たまたま空いていた那覇便に飛び乗り、息子を連れて沖縄へ。そのときの心境をこう詠んでいる。
子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え
情報が錯綜する中、最悪の情報を信じて行動に移した。この歌を見て「逃げ出すのか」「自分だけよければいいのか」と批判する声がツイッターにも上がり、万智の心も揺れた。
──言いたい人は、言えばいい。
そうは思うものの、直接言葉を投げつけられれば、やはり落ち込む。
ニュースでは「直ちには影響がない」という言葉が繰り返されていた。だが、信じることなどとうていできない。10年後に影響があったらどうしてくれる。
まだ恋も知らぬ我が子と思うとき「直ちには」とは意味なき言葉
そんな母の素直な気持ちを込めた歌にやがて共感の輪が広がっていく。しかし、たどり着いた沖縄も決して安息の地ではなかった。
「ホテルの一室でテレビを見ていたら、余震の続く被災地や原発の状態も悪化の一途をたどっている。津波の映像を見ていた息子が不安から指をしゃぶりだし赤ちゃん返りを始める。どうしたらいいのか、わからなくなりました」
滞在2週間。精神的に追い詰められていた。そんな折、歌人の松村由利子さんが石垣島にいることを思い出す。
「連絡を取ると“荷物をまとめていらっしゃい”と言われ2、3日気晴らしでもさせてもらえたら……そんな思いで松村さんのもとを訪ね、2階に居候させてもらいました。
ところが海で近所の子どもたちにまじって遊んでいるうちに息子が見違えるほど元気になっていく姿を見て、この島で暮らそうと決心しました」
石垣島の市街からも離れた2人が暮らす崎枝の集落は、全校生徒・小中学校合わせても、わずか13人。しかしそこには、圧倒的に豊かな自然、子ども同士が存分に遊べる環境、そして何よりも地域社会が子どもを育てる素晴らしいコミュニティーがあった。
「近所の家同士がまるで家族のよう。息子は集落のすべての家に泊まりに行って、雑魚寝。息子にとって“おとう”のような大人の男性もたくさんいた。シングルマザーの私にとって子育てしていて足りなかったものが全部、石垣島のこの集落にはありました」