一生懸命に仕事する雰囲気ではなかった
「圭くんは3歳から小学5年生まで地元のバイオリン教室に週1で通い、自宅でも日々練習を重ねていました。
『国立音楽大学附属小学校』に入学して“音楽家”を目指したそうですが、途中で限界を感じたのか、中学からは『カナディアン・インターナショナルスクール』へ。
最初は英語に苦戦したと聞きましたが、中高6年間でしっかりと勉強して身につけたそうです」(佳代さんの知人)
中学生のころには、音楽とは別ジャンルの挑戦を始めた。
「中学生くらいのとき、週1ペースで絵画教室に通っていたんです。圭くんは昔から絵を描くことが好きで“画家への憧れ”を抱いていたのでは。
お母さまは常日ごろから“息子にはいい就職先を見つけてほしい”と話しており、中高のインターやICU(国際基督教大学)に圭くんが進学したのも、佳代さんの意向でした」(同・前)
'10年9月にICUへと入学する直前、小室さんは『湘南 江の島 海の王子』に選ばれ、1年間にわたって藤沢市のPR活動に携わっていた。
「応募のきっかけは“アナウンサーになりたかったから”で、実際に大学2年の10月からはアナウンススクールに3か月間、入校しています。
『海の王子』時代は、藤沢市内のイベントを盛り上げたりしていましたよ。
“将来はグローバルに活躍したい”としきりに熱弁していましたが、具体的に何をやりたいのかはよくわかりませんでした」(小室さんの知人)
ICUを卒業後、グローバルに活躍したいという言葉を胸に抱きつつ『三菱東京UFJ銀行(当時)』に入行し、丸の内支社の法人営業部に勤務。
「正直、彼は一生懸命に仕事する雰囲気ではなく、デスクにいても上の空でした。
トイレで会っても視線を合わさず、こちらから話しかけても無視されて、嫌われていると思っていましたが、私だけでなく、ほかの人に対しても同じような対応だったそうです。いつもぼーっとしていたのは“ここは自分の居場所ではない”と思っていたのかな」(銀行員時代の元同僚)
案の定、約2年半で銀行を去った小室さんは昼に『奥野総合法律事務所』でパラリーガルとして勤務しながら、夜は『一橋大学大学院』で経営法務を学び始める。