父親の歌を作ることは
デビュー時からテーマ
タイトル曲『AKIRA』では、初めて父との別離をテーマに描いている。
「デビュー当時から、父親の死のことや、そのことで受けた体験っていうのは歌にしようとはしていました。だけど、楽曲として自分で納得できるものを作り上げることはできずにいました。デビュー当時は、僕自身のソングライティング技術や表現技法が足りず、納得できるところまで到達しなかった。でも、自分の中には、描きたいテーマとしてはずっと心の中にあった。
トライし続けていたんですけど、なかなかに難しいテーマだから、『AKIRA』も最後まで迷いながら直していました。でも、この1曲、このアルバムは、あくまでシンガー・ソングライターとしての再出発点だと思います。ソングライティングをやりたい、表現したい、そうじゃないと、あの17歳当時の1年間で自分が感じた苦しい思い出から、自分自身を救済することができない。
それが、僕の表現の出発点――だとするならば、わずか1曲、わずか1枚のアルバムだけで、表現しきれるかっていうと、やっぱりそうはならなかった。だから、父親のことをこれからも歌っていくでしょうし、僕自身の死生観を表現していく始まりの1曲であり、始まりのアルバムなんだろうなと感じています」
父親との思い出で、心に残っていることを尋ねると、
「小学校低学年のころに、自転車に乗る練習を一緒にしてくれたことも覚えているし、何かっていうと楽しいこと面白いことを提案してくれてはいましたね。
長崎の松枝埠頭でフェラーリやランボルギーニなどの世界のスーパーカーが集まるスーパーカーショーがあって、兄貴と僕を連れてってくれた。“スーパーカー乗りたか~!!”みたいなことを言ったら、フェアレディZっていうスポーツカーを、たぶん麻雀仲間からでしょうね、借りてきてくれたんですよ。“スーパーカー持ってきたけん、ドライブ行こうや!!”って。そういうところはいい思い出のひとつです。
ただまあ、飲ん兵衛で(笑)。小学生のころ、学校に行く通学路の稲佐商店街を歩いてると、向こうから一升瓶を持って、じゃぶじゃぶ飲みながら、朝から千鳥足のおじさんが歩いてくる。“怖~い人が来たな”と思ったら、それは父親で。そしたら父親が言うわけですよー、“お~雅治、ちゃんと勉強してこいよ”って。“ウソだろ!!”って思いますよね(笑)。この人には言われたくないなって、子ども心に思いました」
しかし、いわゆる普通の人とは違う生き方をしている父親のことを、憧れの目で見ていたところもあったと語る。
「酔っぱらっているときは、“宿題やったか?”とか言ってましたけど、普段は勉強の話は一切せずに、与太話っていうか冗談みたいなことばっかり言っていて、そういうところは好きだったんですよね。
なんか自由に見えたというか、“自由に生きている人なんだ”って思っていました。フーテンの寅さんじゃないですけども、そういうフーテン感みたいなところに、なんとなく自由な風を感じるところが、憧れというか“ほかの父ちゃんと違ってカッコいいな”というふうに、子ども心に思っていましたね」
自身と似ていると感じるところは?
「いろいろ似ていると思います。すぐ何でも冗談めかして言ったりとか、何か面白いことがないかなと探していたりとか、人を楽しませようとか、面白がらせる感じとか、そのサービス精神においては、とても似ているんじゃないですかね」