東村山が生んだ日本を代表する喜劇王、志村けんさんが亡くなったのは2020年3月。著名な芸能人が新型コロナウイルス感染を公表し、死亡したのは国内初のことだった。
「志村さんの墓にはいまでもたくさんの方々が訪れます。お兄さんがせっかく遠くから来ていただいたのだからとおっしゃるので、場所を聞かれればご案内するようにしています」(寺院の住職)
東村山を訪れるファンの姿も絶えない。東村山駅前では、1976年に植樹された『志村けんの木』がファンたちを迎えるが、ここにはさらに3200万円の寄付を集めた志村さんの銅像建立の話も持ち上がっている。
「銅像は来年設置される予定です。まだポーズが“アイーン”になるのかとか決まっていませんけど。ただ駅の改装 工事で、どうしても1度は移動しなくてはなりません。『志村けんの木』に関してはアスファルトの下に根を張っていますから、移動は無理。木は残しつつ工事を進める予定です」(東村山市役所)
実兄に聞いた遺産の行方
週刊女性は志村さんの兄、知之さんのもとを訪れ、話を聞いた。まず、クラウドファンディングでも話題になった銅像に関しては、知之さんも駅前での募金など積極的に協力してきた。
「銅像は、来年の7月ごろにできる予定と聞いています。私自身、とても楽しみにしています。全国からたくさんの支援をいただき、本当に感謝しています。みなさんも楽しみにしていただきたい」
東村山を訪れるファンへの感謝は忘れることはない。
「お墓もそうですが、全国各地からたくさんの方々が、家にも花を持ってきてくれます。いまでも弟のことを思っていただいているのは、本当にありがたいですね」
志村さんがひとりで住んでいた家はどうなったのか。
「そのままです。まだ整理する段階ではないですね」
コントの神様が残した遺産の問題も気になるところだ。
「そうなんですけどね、(相続問題などは)そんなすぐにはできないですよ」
肺炎と診断されて入院、わずか10日あまりでこの世を去った弟のことを思い出さない日はない。夢にもよく出てくるという。
「いまでも毎日考えています。なんで早く逝っちゃったのかなって……」
志村さんの死によって日本国民がコロナにより気をつけるようになり、多くの命が救われたはずだ。
「……そうですね」
コロナのため、死に目にも火葬場にも立ち会えなかった知之さん。改めて弟が亡くなった実感を聞くと─。
「…………」
黙って下を向き、その後、空を仰いだ。言葉を選びながら口惜しそうに語る知之さんは、コロナがもたらした偉大なる弟の死に、いまだ納得しかねているようだった。