ガリは悲劇、デブは喜劇
やせることをめぐる葛藤、そのかたちはさまざまです。いわゆる「拒食」にも「制限型」と「排出型」というふたつのタイプがあり、前者は食事を減らすやり方です。
一方、後者のうち、口にだけ入れて出すのがチューイングで、胃に入れたものを口から出すのが嘔吐、また、下から出すために下剤も用いられたりします。嘔吐の方法にも、指を口に突っ込んで吐く指吐き、腹筋を使って吐く腹筋吐き、チューブなどを口から胃に挿入して吐くチューブ吐きなどがあります。
このなかでも、チューブ吐きはハイリスク・ハイリターンだとされ、確実にやせられるという人がいる一方で、覚えてしまったら地獄だという人もいます。ネットでは「やり方を教えてほしい」という声とともに、こんな声も見かけます。
「チューブは吐きダコもできないし、怖いくらいするするやせられるけど、そのぶん抜け出せないよ。手を出した人で回復した人なんていないのでは。私は死ぬまで吐き続ける覚悟でやってるけど」
かと思えば「非嘔吐過食」と呼ばれるものがあります。やせたいという願望を持ちながら、逆に食べすぎてしまい、しかも吐けないという状態です。このうち、かつて「拒食」だった人からは「あのころに戻りたい」という声が、そうでない人からは「食べずにいられる人、吐ける人がうらやましい」という声が聞かれたりします。
実際、つらさというのは人それぞれなので、比較できるものでもないのでしょう。ただ、この「非嘔吐過食」がいちばんつらいのではという人が少なくありません。その理由はおそらく「つらさが伝わらないつらさ」にあると考えられます。それは、こんな声にあらわれています。
「家族や友達も、やせてないと心配してくれない。この病気でデブなのは非嘔吐過食だけ。ただ、だらしなくて太ってると思われてる」
そういえば「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ系)という番組があります。やせたり太ったりという話題がよく取り上げられますが、入院してしまうような激やせと、肥満女性が標準体形になるようなダイエットでは描かれ方が大きく違います。前者はシリアスタッチ、後者はコミカルなのです。
そこには「ガリは悲劇、デブは喜劇」という世間的なイメージが反映されているのでしょう。そのイメージがある以上、太っているよりはやせているほうが、過食よりは拒食のほうが、つらさは伝わりやすいわけです。
とはいえ、この「つらさが伝わらないつらさ」はすべての痩せ姫に共通するものです。なぜなら、やせをめぐる葛藤の根本には「生きづらさ」が存在するからです。よく「ダイエットしたせいで拒食になった」という表現がされますが、ダイエットはきっかけにすぎず、原因ではありません。同じようにダイエットをしても、拒食や過食に向かうかどうかは、この生きづらさの大小によるといえます。
そんな生きづらさは、生きていて経験するすべてのイヤなことから生まれます。いじめや虐待、家族との不和、受験や結婚などの重圧や失敗、愛するものとの別れ、自分自身への不満。なかでも、重篤なやせにつながりやすいのがレイプや性的いたずらです。そういう経験ゆえ「性的な魅力をなくしたい」という人もいます。やせすぎると生理が止まるので、痩せ姫にはそれをむしろよしとする人が多いのですが、レイプや性的いたずらを経験した人はその感覚がより切実なのでしょう。
ただし、先に挙げた「イヤなこと」が必ず拒食や過食に結びつくわけでもありません。人はみな「イヤなこと」と戦うための「捌け口」を持っています。誰かに相談したり、趣味に没頭したりして、自分を防御しようとします。痩せ姫の場合、そういうことが苦手で、そこが生きづらさをさらに大きくしてしまっている印象です。