有能、無能の差は決断力
「もともと、“国民のみなさんがご自身で感染に気をつけて、経済のために(旅行や会合を)ガンガンやってください”というのが菅さんの考えだったわけです。でも、支持率が4割に下がり、このまま続けていたら来週にはさらに下がるかもしれない。そう思ったから、感染を止める、死者を減らす、医療を崩壊させない、とこれ以上の支持率低下を防ぐために舵を切ったのでしょう。
政治というのは政治家のためではなく、国民のためにあるのです。例えば(第3波が拡大する前に)GoToに“反対”する多数の国民の声を受けて、菅首相も“私もそう思います”と1か月前くらいに停止して感染拡大を防ぎ、年末年始を迎えるタイミングで緩めて(GoToを再開して)いれば旅行業者、飲食業も含めて国民にとってもよい状況になっていたかもしれません。そして正月期間を終えた1月10日くらいから、“皆さんとまた自粛しましょう”と呼びかけるようなメリハリある対応が必要だったと思います。
タイミングを見計って、良き時期に決断をするのが有能な、国民の考え方に沿った政治家だと思います」(有馬氏)
一方で、ここまで批判される要因になったのが、やはり菅首相らの会合に対する危機感と罪悪感の薄さからだと指摘する声もある。それを象徴したのが杉による“忘年会”発言だった。
「例えば、選挙などの政治的な話は政情に波紋を起こしやすいことから、政治家は本来、会合での話し合いをぼかすために“いや、ただの雑談ですよ”などと取材を煙に巻くもの。おそらくは杉さんも気を遣って、政治家を真似るように“忘年会”などと濁したのでしょう。でも、ならば国民にも“忘年会をさせろ”となるわけで、今回ばかりはぼかしたことが裏目に出た。
二階幹事長が後に“政治に関する話”と言い直したのは、まずいと感じ取ったからでしょう。お店にも事前に口裏合わせの対応もしていなかったことから、菅首相や二階幹事長とすれば、本当に罪悪感のなく集まった“自分なら許される”、特級国民の意識から開催された忘年会だったのでしょう」(全国紙政治部記者)
批判に耐えかねたのか、12月16日にはたまらず日本テレビの単独インタビューに応じて「大いに反省している」と火消しに走った菅首相。ガス欠になるのも早いかもしれない。