毎年行う「儀式」

 台所の冷蔵庫に貼ってあるカレンダーの日付欄には、ボールペンで斜線が引いてある。事件後しばらくしてから、節子さんが自宅で毎晩、行っている「儀式」だ。事件の進展を知らせる警察からの報告がないと、毎日午前0時を過ぎた段階で、その日にボールペンで斜線を引く。

「警察から『今日捕まりました』という連絡が来るかなと思っている間に、夜更かしするようになり、それが習慣になって今は寝られないんです。そればかり考えて、待って待って待っているうちに、20年がたってしまいました」

みきおさんの母・節子さんは毎日、台所に飾るカレンダーの日付欄に犯人が捕まらなかった印として斜線を入れている
みきおさんの母・節子さんは毎日、台所に飾るカレンダーの日付欄に犯人が捕まらなかった印として斜線を入れている
【写真】きれいに鉛筆が削られたまま残された、にいなちゃんの筆箱

 自宅には警視庁から返却された遺品など思い出の数々が眠っている。物作りが好きだったというみきおさんが小学生のときに作った瓶細工や恐竜のおもちゃ、孫2人と一緒に公園で拾ったどんぐりの瓶詰め、にいなちゃんの同級生から届いた手紙、一家4人の写真が描かれている食器……。

 にいなちゃんが直前まで使っていた赤い筆箱は、ところどころはげ落ちているが、開けると年明けの3学期を待ち望んでいたかのように、鉛筆5本がきれいに削られていた。

「毎日学校へ行く前に削っていたんだなっていうのがわかりました。こういう遺品を見ていろいろ考えると、頭がおかしくなるっていうか、本当に気が狂いそうになります」

にいなちゃんの筆箱。きれいに鉛筆が削られている。冬休み明け、学校に行くのを楽しみにしていた少女の希望は突然犯人によって打ち砕かれた
にいなちゃんの筆箱。きれいに鉛筆が削られている。冬休み明け、学校に行くのを楽しみにしていた少女の希望は突然犯人によって打ち砕かれた

 仏壇のある和室の床の間では、長期休みで泊まりに来たにいなちゃんがよく歌を歌っていた。そこには今、片目だけ墨が入っただるまが5体、並んでいる。事件を担当した女性警官が退職後も嘱託で残ることになり、5年間、毎年だるまを持ってきてくれたのだという。しかし両目になる日は、ついぞ訪れなかった。

 節子さんが胸中を吐露する。

「どうして子どもまでもが……。何でこんなことが起きたのか理由がわからない。教えてほしい。目的も全然わからない。せめて私が生きている間に、なぜ起きたのかについては知りたいです」

 節子さんはひとり暮らしを続けているため時折、思い詰めそうになるが、いつかの日を信じて、生き抜いていた。

「私がくじけたらダメっていうか。犯人逮捕や事件が起きた理由を知って、それを土産に5人のお墓に入るのが希望なんです。せめて最後まで残った私が、それだけでも、あの子たちに報告できたらと。あんなに隠れてばかりいた私も頑張ったんだよって言いたいですね」

 そう語る節子さんの背中は小さく、すっかり曲がってしまったが、はっきり受け答えするその声色には、強い使命感のようなものが宿っていた。そんな「ちっちゃいおばあちゃん」は半年後に90歳。今日もまた、カレンダーの前で待ち続けている。

水谷竹秀●ノンフィクションライター。1975年、三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など。