殺意を感じない、母の首絞め事件
中学の入学式には行った。何かが変わるかもしれないという期待があった。だが2年生のクラス替えで、小学生のとき、いじめてきた子が同じクラスになったため、また通えなくなる。
「先生が2度家に来ましたが、数分で帰りました。それ以外は何のアクションもなかった。そういうものなの? と絶望しました。僕はフリースクールの存在すら知らなかったけど、今思えば、ほかの選択肢もあったはずなんですよね」
中学生のころ、母親が深夜、彼の部屋に入ってきて、両手で首を絞めた。「死ね、死ね」「なんで生まれてきたんだ」と叫んだ。
「ところが、その母の手にまったく力が入っていなかったから、殺意は感じなかった。むしろ、自分で死ねと言われているような気がしました。“おまえなんて産まなければよかった”と何度も言われましたね」
聞いているだけで胸がつまる。行き場のない彼は、自室でインターネットに夢中になった。兄のパソコンを触るうちに勝手に覚え、ネット上でひきこもりの人たちと会うことができた。
「いつも最終的には“死のう”と思うんですが、怖くてできない。15、16歳になると僕のほうが体力があるから、親を殴り返したりもしましたね」
それでも高校を受験して合格した。少し期待しながら通ってみたが、やはり続かなかった。当時は親子関係が悪く、兄たちに比べて偏差値の低い学校にしか入れなかったから、親が恥ずかしがっているのは手に取るようにわかったという。
「夢も希望もありませんでした。ただ、親はネットの通信費を払い、僕を追い出そうとはしなかった。そのことには今も感謝しているんです」
“死ねないなら社会に出ていくしかない”
どんなに死のうと思っても死ねない。死ねないなら社会に出ていくしかないと、23歳のときに決意。ただ、長年のひきこもりと、いじめによる対人恐怖がひどかったため、精神科に行くのが順当だと判断した。親の財布からお金を持ち出して病院へ行った。ところが医師は数十秒、話を聞いただけで向精神薬を出された。言われるままに飲んでいたが、頭痛、吐き気に加えて頭がぼうっとしたりのどが渇いたりと副作用がひどく、2年で通院をやめる。
それでも、自分の現状を何とか変えなければと思い、参加し始めたのが居場所を提供するNPOだった。
「最初はまったく声も出なかったんですが、何度か行くうちに挨拶程度ならできるようになり、だんだん慣れて少しずつ話ができるようになっていきました」