漫画本に堆肥をかけられて……

 1948年、長野県の静かな町に生まれ育った智香恵は、すでに5歳くらいから周りの子のそれとは違う絵を描き始めていた。

 小学生のころ、アガサ・クリスティーの『オリエント急行殺人事件』を読んだのがきっかけで、まずはミステリー小説に夢中になる。

図書館のミステリーは、クリスティーだけじゃなくほぼ読んでしまったの

 研究熱心、のめり込む、それは幼少期からだった。

そこから自然と話の作り方を学んだというか、私なりに研究、分析していった

 学んだこと経験したことを、いいこともつらいこともあまさず自身の中に強く取り込んでしまえることも、そのころからだ。

たいていの本は、こういう展開になるな、きっとこいつが犯人だな、と最初のほうでわかってしまうようになったし

 後に、こちらもミステリーの帝王たる存在となる森村誠一に気に入られ、森村作品すべての漫画化を許可されるようにもなるのだった。

森村作品だけは、先が読めないことがあったわ

 その尊敬と信頼は、あちら側も同じくらい抱いたのだ。一流は一流を知る。

 しかし親というものは、井出家に限らず子どもには普通の子でいてほしいものだ。可能性や将来を、すべて先回りして見抜いたり用意したりはできない。

 漫画は趣味にとどめておけ、勉強の合間の楽しみとして、と穏やかに忠告や心配をするのではなく、かなり強硬に実力行使の妨害までするのだ

 親としては、特に娘に冒険などしてほしくはないだから智香恵は漫画を描いていると勉強しろと怒られ、何度も宝物の漫画本を隠され捨てられ、ついには穴を掘って捨てられ、その上に堆肥をかけられたりもしたという

 ウンコですか。そこで、不覚にも笑ってしまいそうになるが。

「そこまでしないと、私が掘り出してしまうからね」

 ひどい、といってしまうこともできるが、それは昭和30年代、40年代の地方に住む堅気の親としては、ごく普通のことだった。

 夢を追うことがもてはやされ、個性を大事に、多様性を認めよう、といった教育や思想はまだ一般的でなく、人並みであること、堅実であることが大事だった。

 女性も一生の仕事を、ではなく、それなりに勤めたらいいとこに嫁いで平穏な家庭を築いてほしい。それを旧弊な価値観の押しつけ、子どもの夢を摘み取る、理解がない、と決めつけるのも絶対的に正しくはない。

 好きなように生きろ好きなように生きてはだめどちらも、親心には違いない