怒りと子どもの成長が原動力に
レディコミ全盛期は、妻がすべての尻拭いをできた。しかし何事もブームは落ち着きを見せる。いつしか、収入をはるかに上回る借金が押し寄せてきた。
「離婚してといったら、子どもを殺すとか脅すし。口だけじゃなく、子どもを叩いたりするようになったから、さすがにもう限界が来たと本気出したわ。
人って私に限らず、殴られ続けると逃げる気力もなくなったりするもんなの。でも子どもに手を上げられて、覚悟も決心もできたわ。
あなたのすべての借金を私が払うし、離婚してもあなたの生活は私が見るから、どうぞ形式的に離婚して、とだましたの。
なんだかんだで正式離婚まで10年かかったけど、その後は一切会ってない。寂しい、わびしい、ひとりぼっちだという噂はたまに聞こえてくるけどね」
さすがの元夫も体力、気力ともに衰えて、つきまとうだの怒鳴り込むだのはしないようだが、彼も燃え尽きたのだろうか。
「わりと最近まで、夫の借金を返済させられてたのよ。最も忙しいときは十人くらいいたアシスタントも、先生は儲けているのにどうしていつもボロい格好してるんですか、と陰で心配してたらしいし」
まったくもって、第三者としても元夫をかばう気になどなれないが。井出智香恵に猛烈に量産させ、恐ろしい体力気力で傑作を生産させた、その原動力にもなっていたのだというのはまったくの見当違い、間違いではなかろう。
「読者は自分と関係ない他人の不幸は、かわいそうだと同情しながらも、読み物になっていればエンタメとしておもしろがれるの」
夫婦、嫁姑問題だって、「いやなら別居すれば」というのは簡単だ。しかし多くの夫婦、嫁姑はそうはいかないのだ。まだ学校や会社の、「いやなら辞める」のほうが簡単だ。いったん身内となった人たちとの関係を切るのは損得や計算抜きの感情も絡む。
みんな頭では、理屈では解決法はわかる。だが、実行するのは困難だ。だったら、もうしばらくは現状を受け入れよう、ともなる。新しい世界に踏み出す方が怖い、という人もいる。耐え忍ぶことを、美徳とする考えもある。
ただし井出智香恵の場合、耐え忍ぶことより戦うことを選ぶほうが多かったようだ。
「そんなぐちゃぐちゃな葛藤を私が整理して描くことで、皆さん何か解決法を見つけられるし、ひとときの憂さ晴らしにもなる」
再度、元夫をどうしてもかばうことはできないが、レディコミ女王をこのような心境に至らしめ、それによって救われる読者がいる現実を見れば、よき夫でよき父でなかったこともまったく無駄ではなかったかとまで思えてくる。
「ようやく離婚が成立したときは、本当に晴れ晴れ、さっぱりすっきりしたけど。今もこれからも、死ぬまで元夫は一生許せない。
ずっと憎み続けるし、あれ以上に憎いやつも出てこないと思う。でも確かに、この経験と感情は、私が漫画を描くときは役に立っている」
夫には恵まれなかったかわりに、子どもにはいろんな意味で恵まれたと笑う。
「夫は顔で選んで失敗したけど、子どもたちは美しくなったし。あんなことがあっても3人とも、素直ないい子に育ってくれたし」
次女は可愛いリボンをつけていって、いじめっ子に盗られたり捨てられたりした。それをまったく強がったり落ち込んだりせず、次の日はもっと可愛いリボンをつけていく、といったことを挑発でも意地でもなく、天然でやってしまえたのだという。
「弱い相手に平気で暴力をふるうような人に、甘い期待をしてはいけないわ。ときにはずる賢く、立ち回らなきゃ」
井出智香恵は、自身の過酷な経験をまったく無駄にしていないどころか、読者のためにも大いに生かしている。
対抗するためのアドバイス、対処のためのヒントが、必ず作中にあるのだ。DV夫を欺く方法も、手を変え品を変え描いてあると。
そして井出智香恵は、必ず希望や救いのある終わり方にするのを貫いている。子どもだけは、不幸にしないとも。
「私の漫画は娯楽だけじゃなく、参考や救いにもなってほしいから」
といって、井出智香恵は女はすべてか弱い、とは思っていない。
「たいていの女は、まずは自分が悪者になること、傷つくことを恐れている。それを避けて、幸せになりたい。だけど、そうもいかないから」