「息子のせいで人が死ぬ」
その不安が母親を動かした
「逮捕される前に一緒に死ねば……」
信子は包丁を手に取り、二階の息子の部屋へとおそるおそる進んでいった。息子の部屋の明かりはなかなか消えることはなく、実行できないまま数日が経過した。
結局、息子が事件に関与している証拠はなく、逮捕されることはなかった。
「それでも、息子のせいで人が死ぬ。その不安が頭から離れなかったんです」
そんな信子の心配は現実になった。息子はバイクで事故を起こし、同乗していた少女を死亡させてしまったのである。息子は重傷を負ったが命に別状はなかった。
「あのとき一緒に死んでいれば……」
信子は後悔していた。一家は自宅を売却して損害賠償の支払いに充て、その後、破産しなければならなかった。
ところが、退院して姿を見せに来た息子の態度はふてぶてしく、反省する様子など微塵もなかったのである。息子と目が合った瞬間、信子の理性は崩壊した。
「目がった瞬間、息子は笑ってたんです。なぜ、どうして人を死なせておいて笑うことなんかできるのかって怒りが込み上げてきました」
信子はその後の記憶はないという。包丁を持って息子を刺そうとした信子を夫と息子で必死に取り押さえていた。信子は、しばらく精神病院に入院した。
信子が息子の姿を目にしたのはこれが最後だった。息子はそれから行方が分からなくなった。数年後、都内のマンションで息子が亡くなっていたという知らせが届いた。自殺の可能性が高いという。
「ようやく解放された気がしました。息子が死んだという知らせが来るまで、私が産んだ責任として必ず私が殺さなければいけないという思いに囚われていましたから」