原田龍二を支える名伯楽
“個人事務所だからできること”
文春砲によって不倫が発覚したにもかかわらず、テレビやCM依頼、連載企画など引きも切らず。“文春砲命中後最速”と言われるほどの驚異の回復ぶりを見せている原田龍二。
彼は独立経験者で、現在は個人事務所の(株)ブローに所属。そして、原田の復帰の立役者と言われるのが、事務所の社長兼マネージャーである森卓一さんだ。原田と30年近い付き合いの森さんが語る、独立のメリットとは──。
「タレントと直で決めることができるスピード感は、大きなメリットだと思います。それなりの事務所ともなれば、現場のマネージャー、チーフマネージャー、社長という具合に、稟議(りんぎ)を上げるように判断を仰ぐ必要がありますから、決断に時間がかかります。しかし、個人事務所だとタレントとマネージャーがじっくり話し合い、仕事への熱量なども確認しやすいですよね。大手のメリットとしてはバーターなどが成立しやすい。だから若い子を育てるなら、大きな事務所のほうが成長させやすいかなと思います」
森さんは、大手芸能プロダクションに入社し、そこでまだ若かった原田と出会うが、その約4年後、会社は経営不振により倒産。その後、原田とともに別のプロダクションに移籍するが──。
「人間関係や人材育成の壁にぶつかり18年間お世話になった会社を辞める決断をしました。そのことを原田に伝えると“森ちゃんが辞めるなら俺も辞める”とついてきてくれたんです」
出会った当初は、まるでやる気のない原田が嫌でしかたがなかったという。しかし、
「苦楽をともにして、一緒に辞めると言ってくれるまでの関係になったのかと思うと感慨深かったですね。違う事務所に移籍する話もあったのですが、彼と話し合った結果、個人事務所をつくることにしました。私自身、経営者になるのは初めての経験でしたから、経理の面など戸惑うことが多かったですね」
今でこそ個人事務所は珍しくないが、当時はまだ珍しい存在。“弱小”と見られがちなだけに苦労はなかったのか?
「やっぱりありましたよ(笑)。仕事を振ってもらえないとかね。でも、個人事務所を選択したくらいですから、われわれは気にしなかった。わからないことだらけだから、できることといったら前向きになることくらい。原田も私も他者をうらやましがらない性格なのがよかったのかな。だから、不祥事の後も何とかなったんだと思います。あのときは私も原田も、仕事はすべてなくなると思っていました」
不倫発覚時、原田は2つの生放送番組のレギュラーを持っていた。記者会見を開かずとも、収録前後にマスコミが押し寄せる。周りに迷惑をかけてしまうため、森さんとともに記者会見を開くことを決断したという。
「原田龍二は、隠れて生きるような売り方をしてこなかった。なので堂々と裸一貫、正直に話して臨もうと。そういった意思確認ができるのは、私と原田のマンツーマンの関係性があるから。全裸になる仕事にしても、原田はまっすぐな性格ですから、絶対にうまくいくとしか感じなかった(笑)。ほかの事務所であれば、上の判断で裸になることは止められていたかもしれない。でも、本人はやる気に満ちていたし、私も面白いと思った。個人事務所は、さまざまなことにチャレンジできる。だからこそ、人との関係性を大事にする──とても大切なことだと思いますね」