医療、福祉にアクセスできない人々
困っている人の元に必要な情報が届かない、というのは、さまざまな社会問題を考える上で最も重要な問題のひとつだと思う。
金銭的な困窮に陥ると、他者との経済格差が開くだけでなく、情報格差や、医療格差にも大きな影響が現れる。例えば、貧困層は貧困脱出に必要とされる知的資本や文化資本、社会資本を持たないために情報リテラシーが低く、マルチ商法に騙されやすかったり、生活習慣病にかかりやすい傾向にある。
先日、全国の若手医師が参加するオンラインセミナーにゲストとして招いてもらう機会があった。医療の現場に立つ医師たち、貧困などの問題に携わるゲストたちが「健康格差」をテーマに意見を交換しあい、格差をいかになくしていくかを共に考える、非常に貴重な場だ。
その場にいた多くの人が問題視していたのは、低所得者ほど生活習慣病リスクや依存症リスクが高いにもかかわらず病院に診察へ訪れることを避け、治療の継続が難しいことだった。彼ら彼女らを必要な福祉や支援につなげることができればいいのだが、そもそも日常生活を送るのですらギリギリの経済状況では、不調の治療にはなかなか意識が向かない。
「貧困」とは単純に経済格差だけでなく、健康格差や情報格差をも生み出すことがわかる。
頑なに病院へ行かない貧困層
私はもともと貧困家庭の出身で、今は主に貧困問題について取材や執筆を行っている。
うちは両親がアルコール依存で、家庭内暴力、ネグレクトなどの問題も抱えた典型的な機能不全家族だった。毎月生きていくだけでも必死で、両親は身体を壊しても頑なに病院へ行かなかったし、私が不調を訴えるとあからさまに嫌な顔をしたり、「気の持ちようだ」と窘めたりした。
そのため、中学生のころに学校の健康診断で見つかった虫歯は10年近く放置されていたし、高熱を出しても病院に行かせてもらえなかったため、飲食がまったくできなくなるまで悪化してようやく受診、緊急入院になったこともあった(入院費は、自分で奨学金から支払った)。
父親が仕事を頻繁に辞めるので生活が成り立たず、健康保険料を滞納していたときには「医療費が3割負担ではなく自己負担になるので、絶対に病気をするな」と強く言われていた。
私たちは自分の家庭が生活保護受給の対象になるなんて考えたこともなかったし、そもそも貧困などの問題を抱えているのは「恥」だと思っていたために、誰にも助けを求めることはできなかった。閉鎖的な環境で、家庭で暴力を受けていることも口止めされていたので、子どもの自分は「逃げ場などどこにもない」と考えていた。
あのとき私たち家族にもう少し知識があれば、問題を誰かに相談できていれば、今ではもう崩壊してしまった家庭にも再建の余地はあったのかもしれない。