お笑いスキルが鍛えられた

 一流の芸人が集まっていたから、お笑いのスキルが鍛えられた。楽屋でもトークを競いあっていたという。

さんまさんの楽屋は個室だったんですが、ひとりでいて我慢できる人じゃないですから(笑)、いつも西川のりおさんたちの楽屋に遊びに行ってたんですね。そこに僕らも入っていってトークをしまくるんです。さんまさんたちを笑わせようとして自然に話力がアップしていきました。

 さんまさんに“キミ、トークうまいな”なんて言われると本当に嬉しくて。『ひょうきん族』が終わったあともさんまさんは覚えてくれていて、日テレの番組にレギュラーで呼んでもらったこともあります」

 楽屋の何気ない雑談から、人気キャラクターが生まれることも。

さんまさんの『パーデンネン』や、島崎俊郎さんの『アダモステ』などは、楽屋でなんとなく話していたところから話が膨らんで。翌週にはキャラクターとコントの台本が出来上がっているんです。スピード感のある現場でしたね」

 リハーサルを重ねて本番を迎えると、今度はアドリブ合戦が始まる。

「何回もリハーサルをやっていると、スタッフが慣れて笑わなくなっていくんですね。だからリハーサルでも本番でもぜんぜん違う動きをしたり、セリフを話したりするんです。照明やセットも無視して好き放題やっちゃうのを全部撮る。それまでの撮影の常識をどんどん壊していったんですよ。スタッフが撮影中に笑ったのをそのまま放送するスタイルは『ひょうきん族』が初めてだったと思います。

 番組内でディレクターさんやカメラマンさんに平気で話しかけるのも、今ではいろいろなバラエティー番組で使われていますが、当時は新しかった。どんどんタブーを打ち破っていって、それが世間にはカッコよく見られていたんです」

『ひょうきん族』の前にお笑いの絶対王者だったのが、裏番組の『8時だョ!全員集合』(TBS系)。でも、あまり見るすることはなかったという。

「意識する暇がありませんでしたね。その時間は『ひょうきん族』のオンエアを見ていました。どこがカットされたか確かめるんです。出演したコーナーがごっそりなくなっていたこともありましたから(笑)」

『全員集合』は1985年に終了。『ひょうきん族』の勢いに押される形で幕を閉じた。

「テレビの常識をみんなで壊していった番組でしたね。そういうところが知的に見えて、ユーミンやYMO、サザンオールスターズといったアーティストも出演してくれました。新しいお笑いが生まれる場所になら出たい、って思ってくれていたそうなんです」

 『ひょうきん族』が最先端を走っていたあの頃。日本が輝いていた時代だった。