まずはこんな話から。

「名店と言われる場所には、どんな地方でも予約を取って足を運ぶ。その際、東京の名店と言われる店の手土産を持参するんです。決して安くないものです。相手にしたら、売れっ子タレントが土産を持って、わざわざ休みを取って来てくれるわけですから、うれしいですよね」

渡部建のフィールド

 別の話も聞いた。

「グルメ雑誌の編集者が連絡してくると、そのうち編集長と会いたいとお願いするんです。しかもどこかの飲食店で会うときに、自分の番組のロケを入れたりする。編集長をテレビに露出させて恩を売るんです」

 かくして、単なるグルメ評論家とは違い、“グルメがわかり、発信力の強いタレント”というカテゴリーを自身で開拓したのである。

渡部が戻りたいのは、まさにそこでしょう。自分のフィールドです。テレビ出演が以前のように戻るためにはかなりの時間がかかるでしょうが、その露払いとして活字メディアに重宝される傾向にある。実際、渡部の元には、週刊誌・月刊誌からインタビュー依頼が来ているそうです。

 インタビューを受ける、そのかわりグルメ関連の連載をしたい、と持ち掛ければ、インタビューを取りたい媒体なら、それくらいの枠は作ることができます。名店へのインタビュー、生産者へのインタビューなど、渡部の知識をもってすれば可能ですからね」(前出・情報番組デスク)

 コロナ禍で、全国的に打撃を受けている飲食業界に生産者。コロナが収束に向かい、かつてのような活況を取り戻すためには、業界の魅力を発信するアナウンサー、インフルエンサーが必須となる。

 そこに渡部が返り咲けるかどうかは、やらかしたことへの拒絶反応が根強い限りそう簡単ではないが、いずれ許してもいい空気が出てくるのも世間というもの。どんな人にも、セカンドチャンスがあってもいい。

 渡部にとっては、その一歩が東京・豊洲でのハードワークになる。途中で投げ出すことなく、まっとうすれば、もう一度応援してやろうという空気や評判が、豊洲から発信される。「豊洲労働記」として原稿を書くこともできる。雑誌の編集部に持ち込めば、それを断る編集部はないだろう。

 といったところに、豊洲で働き出した渡部の思惑を見る。

〈取材・文/薮入うらら〉