生存教員に早く、あの日のことを語ってほしい
「震災前、その生存教師は児童たちに信頼されていました。連絡をとりたいと言っている子どもたちもいます。裁判も終わったので、話をしてほしい」(佐藤秀明さん)
生存教諭をめぐっては、震災直後の証言はあるものの、生存した児童たちとは食い違う。裁判でも証言台には立っていない。
「検証委では生存教諭から6時間の聞き取りをしましたが、議事録は出せないと言われています。こうした資料は検証委の事務局だった団体で保管していますが、市で管理してほしい。トップが変わったときに公開されることを期待したい」(今野さん)
今野さんは震災後、「死にたい」と漏らしていた。大輔君だけでなく、両親と当時高校3年生で長女の麻里さん、当時高校1年生の次女、理加さんを失った。妻のひとみさん(50)はこう話す。
「一緒に死ぬべ、と言われたこともあります。生き地獄だったので、『生きていても…』という思いもあったんです。楽しいことあるんだろうかと思ったりもしました。でも、仕事に没頭したことや、常に夫が近くにいてくれたから、死のうと思わずにすんだのかな」
同じく原告になった佐藤和隆さん(54)。当時小6の三男、雄樹君を亡くした。裁判に勝訴したことで「私たちの主張も認められて勝訴したよ」と伝えた。
「よくも悪くも、裁判をしたことの意味はあったと思います。しかし、本来は教育の現場で裁判までしなければ、真実が明らかにならないのはおかしいです」
しかし、当日の出来事を知ることができなかった。
「生存者が少ないこともあるでしょうが、知っているのは生存教員だけ。早く、あの日のことを語ってほしい。そうすれば、かなりの状況は見えてきます」
勝訴はしたものの、課題は山積している。市内の子どもたちにどう伝えていくべきかが残されている。県内の児童生徒や教職員が、学校行事などで校舎跡を訪れたことはない。ただ、'20年11月、県教委主催で、新任校長90人を対象に研修を行った。判決確定を受けたものだ。
「校長の研修があったのは一歩前進です。しかし、震災後からずっと市内の子どもたちに伝える機会がないのです。市教委の姿勢でもあると思います。震災を知らない子どもたちに遺族の話を聞いてもらうことや、判決でも指摘された管理職研修も大切です。いまだに、県教委や市教委には、向き合おうとする姿勢を感じません」
震災後、佐藤さんは、雄樹君を思って、今野さんと同じように、「死のう」と考えた。
「遺族なら誰もが考えたと思います。死のうとしても、やっぱり怖い。その怖い目に子どもたちが遭ったんです。それが現実に起きたんです。市教委は本当に罪深いと思います」