「みんながうれしいがいちばん」の教え
しかし勤王派の凋落により京都での志士活動に行き詰まった栄一は、江戸遊学のころから交友のあった一橋家の家臣・平岡円四郎の推挙により、今回の大河ドラマで草なぎ剛が演じる一橋慶喜に仕えることとなる。
「うまく立ち回ったという人もいますが、栄一の人生を見ると運が強いから縁を引き寄せているともいえます」
しかし栄一は、決して人間関係に流される“イエスマン”ではなかった。
「明治維新後、明治政府に出仕。民部省や大蔵省で働きますが、大久保利通たちトップと対立してわずか4年で明治政府を去ります。
“上から言われても、嫌なものは嫌”。そういう気骨があり、官僚には栄一は向いていませんでした」
実業家に転身してからも私利私欲に走ることはなく、常にみんなのことを考え、日本のために奔走していたといわれる栄一。
その陰には、栄一を愛情深く育てた母・ゑいの“みんながうれしいがいちばん”の教えがあったと言われている。
しかし、その一方で実業界にも“艶福家・渋沢栄一”の名前はとどろき渡る。
「栄一は何人もの女性を囲い、妻子のいる本宅でも、愛人との間にできた子どもまで同居させていました」
子どもの数は20人とも言われ、そのほとんどが愛人との間に生まれている。
艶福家ぶりは晩年に至っても変わらず、なんと68歳のとき、子どもを授かり、「お恥ずかしい。若気の至りで、つい」と、はげ上がった頭をなでたというエピソードが残っている。
「栄一の後妻に入った兼子は、栄一の著作『論語と算盤』にちなみ“父様も論語とはうまいものを見つけなさったよ。あれが聖書だったら、てんで教えが守れないものね”と、夫婦以外の性行為を“淫行”としている聖書を引き合いに出していたそう」
明治政府の要人は“英雄色を好む”ではないが、艶福家ぞろいだった。そんな艶っぽいエピソードが、ドラマではどこまで描かれるのか? この先も目が離せない。