それでもジャージを着た女子中学生たちが、
「生きてたの!? みんな無事だよ! 会えてよかった。心配してたよ」
涙ぐみ、抱き合いながら再会を喜ぶ声も。
日が暮れ始めた午後6時、七郷小学校では、炊き出しの準備が始まる。空はすでに真っ暗。明かりがない校舎を、ぐるりと囲い込むように炊き出しを待つ列ができた。
そして午後7時。突然、目の前が明るくなった。実に地震発生から52時間。小学校の電気が復旧した瞬間だった。一斉に歓声と拍手が沸き起こった。ガス、水道、電気、どれがなくなっても困るに決まってはいるが、
「水はペットボトルが配られたり、売ってたりするけど、電気だけはどうしようもないからね」(40代女性)
「おにぎり1個」か「リンゴ1/6欠け」の選択
この夜、ひとりひとりに配られたのは、混ぜごはんのおにぎり1つ、ヤクルト1本、ひと家族で漬物1袋。おにぎりはラップに包まれたりしておらず、そのままなので、受け取ったその場で食べ始めた人もいた。決して十分な量ではないのだろうが、
「昨日なんて、おにぎり1個かリンゴ1/6欠けの選択だったからマシですよ。足りないなんて文句を言ってるのはお年寄りばかりです。子どもたちは、最初はお菓子を取り合っていたけど、親に叱られてから、今は率先してみんなで分け合ってる。ウチの父親も補聴器がないだの、お茶が飲みたいだのワガママばかり言ってますよ」
と40代女性は嘆いた。
避難所には、中国人の若者も数名いた。住み込みだったのか、住まいがなくなってしまったのか。寒い中でも作業着のまま外にいた。教室に入るのも気が引けてしまったのだろうか。外国人にとって、この異国の地での大災害は、本当に恐ろしかっただろう。夜10時を過ぎ、ほとんどの被災者が眠りについた中でも彼らは起きていたーー。
翌朝、朝の5時ごろに仙台市・宮城野区役所を訪れると、イスを並べてベッドがわりに寝ている人や、床に段ボールを敷いて寝ている人が30人ほどいた。ここにも避難所がいっぱいで入れない人が、多数流れ込んできていた。テレビモニターを食い入るように見ていた人は、東京の計画停電の報道に対して、
「東京のことなんかより、現地の情報が欲しいですよ。計画停電っていっても、何時間かすればつくんでしょ? こっちはいつになるかわからないんだから……」(30代男性)
さらには、翌日から雪の予報を見て、頭を抱える人も。区役所はトイレが使えるものの、自動販売機はすべて売り切れ。ゴミ箱にも空き缶が散乱していた。朝の8時前になると、職員が出てきて、
「8時から通常業務が始まりますので、ここから出て行ってください」
と、非情な退去命令に、
「どこに行けばいいんだろうね。困っちゃうね」
と、アキレながら話す人も。職員にも、ほとんど情報が入ってないようで、「いつ電気が復旧するの?」「どこの避難所が空いてるの?」と聞かれても、しどろもどろになるばかり。