イギリス国民の「熱」が一気に冷めていったのは、先の世論調査にも現れているが、公務縮小宣言がきっかけだ。事実上の公務放棄を女王に一言の相談もなく、自前のメディアで宣言してしまうのは、前代未聞。多くの国民にとっては、これが「わがまま」に見えてしまう。王室に入ったからには、そのルールに沿い、粛々と公務を実行するべきと考えるからだ。

 長男アーチー君の誕生経緯もひんしゅくを買った。王室のメンバーに子どもが生まれたら、その誕生を国民とともに「共有」するのが習わしだ。キャサリン妃の場合、特定の病院で産み、産んでから数時間後にカメラの前に赤ん坊を抱いて姿を見せる。国民はその姿を見て、王室と「つながる」のである。出産は国民的行事なのだ。

 しかし、メーガン妃はどこで生まれるかを公表せず、メディア側は準備できなかった。誕生は夫妻のインスタグラムで発表された。伝統メディアは素通りされてしまった。

イギリス人をカチンとさせた文章

 イギリス国民は王室のメンバーといえど、お金をどう使うかをしっかりと見ている。王子夫妻の新居となったフログモア・コテージを巨額で改修させたことも反感を生み出した(後に夫妻は改修費を国庫に返還している)。

 王子夫妻がアメリカに移住してしまったこともマイナスだ。公務をせず、イギリスにも住まない。これでは「王室のメンバー」として親しみを感じるのは難しい。

 今年2月19日、エリザベス女王は夫妻が3月から正式に王室を離脱するという声明文を発表した。「王室のメンバーとしての公務に従事しない場合、公務を行う人生の責任や責務を継続することは不可能」とし、それでもヘンリー王子夫妻は「愛する家族の一員であることは変わらない」と続けた。

 声明文発表の直後に王子夫妻も声明を出した。夫妻は「これまでのように責務を全うし続ける」とした後で、「私たち全員が公務に従事する人生を送ることができます。公務は普遍的なのです」。

 この最後の文章は、イギリス人にとっては、カチンとくるような表現だった。エリザベス女王は声明文の中で、国民のため・公のために奉仕する「公務(public service)」は王室のメンバーとして実行できるものと書いたが、これに真っ向から対立し、「公務は普遍的(service is universal)なのです」と言っているからだ。まるで、「ふん、王室のメンバーでなくたって、できるわよ。あなただけの特権じゃない。私たちもできるし、やっていくわ」と宣言したも同然だった。