「北海道内のゲイバーを渡り歩いていた10代のころ、真冬にストーブもなくて押し入れを開けたら雪が積もっているような部屋で暮らしたこともあるわ。今こんな贅沢な暮らしができて、好きなことをして世界中走り回って、何の悔いもないわ。本当に楽しい人生だったもの。生まれ変わってもまた男でもない女でもない、“カルーセル麻紀”になりたいと思ってるのよ」
そう言い切る表情は晴れやかで、湿っぽさは微塵もない。
春駒こと原田さんが語る。
「麻紀はたとえ湿っぽくなったとしても、自分で解決してしまうからね。いつまでも悲しみとか苦しみを引きずらないのよ。だって、いちばん苦しいのは自分ですから。そうじゃなくてもつらいわけでしょ、男が男を愛してるんだから。自分で諦めるしかないの」
原田さんも「また男性に生まれて男性を愛する自分になりたい。結局私たち、自分がいちばん好きな人が多いのよ」と笑い、多くの共通点を持つ麻紀さんのことが大好きなのだと語る。
女と男という性別を超え、お互いに人として好きで共鳴し合う関係が麻紀さんの周りにはたくさんある。
自宅のリビングルームには交流のあった友人との写真や思い出の品が所狭しと飾られていた。その特等席に置かれた石原裕次郎の遺影を指さし、麻紀さんが語り出す。
「裕さんと知り合ったのも銀座のクラブに出ていたから。あの人オカマが嫌いと聞いてたから、席につかなかったのよ。でも盛り上げてほしいとマネージャーさんから頼まれて、端っこの席に座ったの。そしたら“あ、カルーセル麻紀だ”と喜んでくださって」
石原はその場で自分の主演映画に麻紀さんを誘い、麻紀さんのために台本を書き換えさせたという。
「本当に可愛がってもらった。“麻紀、いま飲んでるから来いよ”と言われたら、なにを置いても同棲してる男を置いても、すっ飛んでいったわ。裕さんとは一線を越えたことは1度もなかったし、そうなりたいとは全然思わなかった。ただ裕さんという人間が大好き、それだけだったのよ」
また大親友だった女優・太地喜和子と2人で撮った写真を手に取ると「喜和子はいい女だったよ~」と目を細める。
「俳優座にいた峰岸徹の卒業公演を見に行ったときにすごく目立つ女がいたの。それが喜和子で。ロビーに出てきた徹と話してたら、“なんなのこの女、あんたがカルーセル麻紀?”と言われて。それからすごく仲よくなって、このソファでいつも酔っぱらって裸で寝てましたよ(笑)」
太地は女優としての麻紀さんを認め、互いにアドバイスし合うこともあったという。
「私の舞台を見に来てくれて、すごく褒めてくれたこともあったっけ。喜和子が主演してた蜷川さんの『近松』を見に行ったとき、“あそこで暖簾をくぐるとき、スッと入るんじゃなくて、1回ちょっとためてみたらどうかな?”と言ってみたら、“そうか、やってみるよ!”と言って、次に見に行くと、そのとおりにやってくれてたのよ」
2月末、『徹子の部屋』に15回目の出演をした。45年前に初出演したときと同じドレスをまとった麻紀さんを黒柳徹子は絶賛した。
「コマーシャルの間に徹子さんに“(私のように)45年前に出た人で、生きてる人います?”と聞いたら、“1人もいませんあなただけです、みんな向こうです”と(笑)。私が長生きしすぎてるのかもしれないわね」
あとどれくらいの命が残されているかわからないけれど、あの世で待っている人たちに会えると思うと、死ぬのも怖くないと話す。
「でもね、昨年4月にやった脳梗塞も治っちゃったし、12月に両足を手術して、また13センチのピンヒールもはけるようになったの。“タバコは1日3本”を守って、命ある限り舞台に立ち続けたいわ!」
好きな仕事をして、好き放題恋をして、男女の違いを飛び越えて多くの人に愛された、人たらしの麻紀さん。雑音はピンヒールで蹴とばして、涙はメイクで消してきた。麻紀さんがみんなを夢中にさせるのは、自分の人生をいつも情熱的に生きているから!