こうして機が熟すなか、2006年3月22日、結成5年目にしてKAT-TUNは、「Real Face」でCDデビューを果たす。
作詞がスガ シカオ、作曲がB'zの松本孝弘だったことでも話題になった同曲は、ラップとヒューマンビートボックスを織り交ぜた、ハードロック調の楽曲。「ギリギリでいつも生きていたいから」といったフレーズも印象的で、“不良系”の面目躍如たるものがあった。亀梨和也と赤西仁をツートップとしたメンバーのビジュアルやパフォーマンスも、その世界観を見事に体現していた。
「Real Face」は、オリコン週間チャートで初登場から3週連続の首位、さらにオリコン年間チャートでも1位という快挙を達成。また初週売上枚数は75.4万枚を記録し、これは2020年に同時デビューしたSixTONESとSnow Manによって破られるまで、ジャニーズにおけるデビュー曲の初週売上記録だった。
ジャニーズにおける“不良系”の系譜
ここで、ジャニーズにおける“不良系”の歴史を簡単に振り返っておこう。
現在に直接つながる“不良系”のジャニーズとしては、1980年デビューの近藤真彦がいる。「たのきんトリオ」のひとりとして一世を風靡した彼は、やんちゃな個性で親しまれた。
この頃は、横浜銀蝿などが人気で世の中もツッパリブーム。近藤真彦のブレークのきっかけになった学園ドラマ『3年B組金八先生』(TBSテレビ系、1979年放送開始)でも、彼が演じる生徒がツッパリ風の長ランで登校し騒動を巻き起こす回があった。
1980年代後半には、岡本健一らがメンバーだった4人編成のロックバンド、男闘呼組が人気を集めた。曲調もそうだったが、ルックスやファッションから彼らが醸し出すワイルドな雰囲気は、まさに不良の魅力にあふれていた。同じ時期に王道アイドルとして人気を誇った光GENJIとのコントラストもあり、なおさら男闘呼組の存在感は際立っていた。
さらには1990年代にCDデビューしたSMAPも、グループ全体がそうだというわけではなかったが、中居正広と木村拓哉にはそれぞれの不良性の魅力があった。
2000年代にデビューしたKAT-TUNは、こうしたジャニーズにおける“不良系”の流れを受け継ぎながら、それをアップデートしたと言える。たとえば、バンドではなく、ラップやヒューマンビートボックスなどヒップホップのエッセンスが取り入れられた点などはそうだろう。
ただ、“不良系”のジャニーズは、時代とともに徐々に減ってきている。