国際会議で振舞われる料理と同じように
容姿という生まれつきの特徴を露骨に指摘したり、その特徴を掴んで真似してイジるといったこと自体、海外ではからかっているとみなされてアウト。スタンダップコメディで大統領の喋り方を真似したりするけど、あれは侮辱・からかいの意味が込められており、いわゆる日本でいうところの“モノマネ芸”とは異なります。
そうした流れを受けて、最近では日本においてもルッキズム(容姿による差別)が浸透してきて、たとえプラスであっても容姿に関する特徴について露骨な表現は抑える傾向にあります。
国内においてもそうした傾向があるにもかかわらず、未だに容姿をいじる案が出てきたことに驚きですよね。まして今回はオリンピックという、日本がホスト国となり、海外の人たちを招待して楽しんでもらう国際イベント。
そうした場で自分たちのなかだけでしか通用しない笑いの感覚を押し付けたとしたら、国外からはそれは笑いとして受け入れてもらえず、結果自分たちが損するだけのことに気が付いて欲しいです。グローバル化しましょうと言っても、このあたりの感覚が身に付かない限り、外国人の前で“ブタの演出”をやっても日本人が損するだけ。何がおもしろいのかわからないと言われるだけです。そもそも“オリンピッグ”なんてダジャレ、日本でも笑う人いなさそうですが。
国際会議などで振るまわれる料理ひとつとっても、それぞれの国、民族では何が食べられないのかを踏まえたうえで、シェフはその会食に一番適した食材を選び、その条件のもと腕を振るうわけですが、それとまったく一緒。
国際イベントではセンセーショナルさをウリに、みんなが気持ち良く楽しめるものを作ることも一方で大事。すべての人が満足する、無難なところのなかで、いかに想像力、発想力を発揮するのか――。そういう難しいところを求められているからこそ、演出メンバーとして選ばれているわけでしょ。
それなのに、人間を動物に喩える、そして容姿をいじるという二重にアウトな感覚を持った人が、国際イベントの統括をしていたということに驚きました。今回唯一救いだったのは、きちんとした国際感覚を持ち、彼を注意する人間が周りにいたことですよね。万が一企画がそのまま通っていたら、本当に恐ろしい話になっていたと思うので……。世界中がドン引きでしたよ。
<構成・文/岸沙織>