家族5代で受け継ぐ「牛トマ」

 結婚して3年目の'75年に長男、'79年には次男が生まれて4人家族に。息子たちの主治医だった小児科医の毛利子来さんから「食べたものは3か月後には身体の中で血や肉になるから、1回1回何を食べるかが大事ですよ」と教わり、無農薬野菜や有機卵を取り寄せるなど、食材にも気を配るようになった。

 和田さんの友人が家に来ることも多く、レミさんは手料理でもてなした。ある日、遊びに来た作曲家の八木正生さんから『四季の味』という雑誌にリレー・エッセイを書いたので、次号はレミさんにお願いしたいと指名された。

「八木さんってメチャメチャグルメでさあ。トリュフを食べにパリから小型飛行機でどっかの村まで行ったなんてレベルの人なの。私なんて、八木さんたちがうちに来ると、冷蔵庫の中の食材でチャッチャッと作ってごちそうしていただけだから、断ったの」

 どうしてもと頼み込まれ、レミさんは1回だけのつもりで、いつも作る料理のことを書いた。「素人だからこそ思いつく家庭の味」として写真付きで掲載されると大好評。次第にほかの雑誌からも依頼が来るようになる。

本っ当にね、こんなに楽しい人生が開けたのは八木さんがチャンスを作ってくれたおかげ。どんどんどんどん料理の仕事が来るようになってから、八木さんから電話がかかってきたことがあって、お礼をいっぱい言ったのよ。それからしばらくして、八木さんが急死しちゃった……。

 だからさ、心で思ったこと、感じたことは、とりあえず言っちゃったほうがいいみたい。何が起こるか人生、わからないからね。和田さんにも、“好きだ、好きだ”っていっぱい言っちゃったからね、私

 テレビの料理番組に出たのは、NHKの『きょうの料理』が最初だ。そのときは「牛トマ」を作った。フランス系アメリカ人の父方の祖父から受け継いだ家族の味だ。熱湯で肩ロースの薄切り牛肉200グラムをしゃぶしゃぶしたら取り出す。熟れたトマトを5、6個湯むきして大きめに切り、オリーブ油を熱したフライパンに入れたら炒める。トマトに火が通ったら、肉を戻し、塩、コショウしてできあがり。

 レミさんは説明しながら、突然、アカペラで歌い出した。

♪トーマト、トマト、トマートー。赤ーく酸っぱい……。

私がトマト大好きだから、和田さんが歌を作ってくれたの。牛トマは真夏の真っ赤に完熟したトマトで作ると、最高にうまいね。今じゃ小学生の孫が作っているから家族5代、100年よ。私が死んじゃって姿形は何にもなくなっても、味が伝えられていくっていいことよね。味で家族がつながって、絆が固く結ばれるみたいで。私は“ベロシップ”と呼んでいるの

 番組の中でも、いつも家の台所でやるように、トマトを手でぐしゃぐしゃとつぶした。すると、放送後に抗議の電話が何本も!

あの下品なやり方は何だ

 ところが、数日後に新聞でこんな記事が出て、風向きが変わる。

平野レミの料理はユニークで面白い」

 テレビCMの出演も決まり、肩書に悩んでいると、和田さんがこう提案してくれた。

「レミは料理学校にも行ってないし、料理愛好家じゃないの?」