扶養照会を止めてもらう具体的実践方法

 扶養照会を省略してもいい場合は以下のとおりである。

■暴力や虐待を受けたことがある場合:大変つらいことではあるし、とても酷なこととは思うが、福祉事務所職員の中には想像力が働かない人もいるので、しっかり伝わるように被害を話すこと(こんなことをさせなくてもすむよう、一日も早く扶養照会を撤廃したい!)

■10年以上音信不通である

■しばらくは仕送りを受けるなどの援助を受けていたが、これ以上の援助は無理な場合

■親族の年齢がだいたい70歳以上、あるいは未成年である

■親族が生活保護受給中であったり、障がいがあったり、働いていないこと(家庭の主婦など)

■親族が長期入院していたり、社会福祉施設入所者である

■この親族と相続トラブルがある

■経済的援助が見込めないこと

■暴力や虐待はなくても、この親族に扶養を求めることが、明らかに自分にとって有害である場合

 つまり、扶養照会が申請者に危険や悪影響を及ぼし、あるいは扶養義務にあたる親族に経済的援助が見込めそうにないという2点が明確になればいいのである。

 扶養照会の対象は三親等にまで及ぶ(これは本当にバカバカしい)のだが、扶養義務の強さの順に並べると以下のとおり。

≪生活保持義務関係≫ 婚姻関係にある配偶者、中学3年以下の子に対する親(離婚した元配偶者)

≪生活扶助義務関係≫ 父、母、子、祖父、祖母、孫、兄弟、姉妹

≪相対的扶養義務者≫ おじ、おば、甥姪

 扶養照会がいく可能性のある上記メンバーに、経済援助が見込めないこと、連絡がいけば申請者に危険や悪影響を及ぼすことが分かれば、扶養照会をしなくてもよい理由を満たすということになる。是非、参考にしてほしい。

 また、生活保護を申請する人の意向を明確にするための「申出書」と、親族による援助の可否を明確にしするチャートは、『つくろい東京ファンド』のホームページがら入手することができるので、申請時には持参することをおすすめする。

 著者が申請同行した人で、家族とは連絡を取り合ってはいるものの、非常に根深い問題を抱えている人がいた。「扶養照会をされるくらいなら死ぬ」というこの方には、通院している精神科医が「家族に知られることが当事者の自立を著しく妨げる」と意見書を書いてくださったことで扶養照会は回避できた。こういった事例もあるので、該当する人には参考にしてもらいたい。

声を上げることは決して無駄ではない

 時代とともに家族形態は変わり、多くの人々が親族を養うほどの経済力をも失っている。誰もかれもが生きるのに精いっぱいの中、生活保護申請に伴う「扶養照会」は、とっくに百害あって一利なしの遺物になり果てていた。時代に合わない。機能していない。それでも改革が難しいのが国のルール。それを、長引くコロナ禍で生活困窮者が激増する中で、このままではマズイと本気で憂う人があちこちに現れた。

 足立区区議である小椋修平氏が、本会議代表質問で足立区の扶養照会数とその実績を質したのが2020年6月。回答結果が照会数2275件中、実績が7件(0.3%)と聞いて、やっぱりと思う一方で、そこまで無意味なことを福祉事務所は疑問も持たずに時間と、労力と、税金をかけてやってきたのかと愕然とした。絶対になくしたい。なくさないとダメでしょうと決意を固めた。

 そこで『つくろい東京ファンド』で扶養照会の弊害をデータにすることで可視化させ、メディアが取り上げ、国会議員のみなさんが真剣に耳を傾けてくれ、扶養照会問題は国会に響いた。法律家も、福祉関係者も、それから自治体議員のみなさんも、みんなが知恵を結集させた結果、山はじりじりと動き始めた。いや、動いてはいないかもしれない。山はどっしりとそこにあるままだ。しかし、みんながスコップやシャベルを持ち寄って山を掘り始め、大きな山にトンネルをつくろうとしている。

 時を同じくして、厚労省がホームページに「生活保護の申請は国民の権利」と広報を出した。このメッセージは国民の生活保護に対する誤解を解くだけでなく、嘘で申請希望者を追い返すなどのひどい対応をする福祉事務所職員を牽制する意味もあったと、その文言から感じる。

 厚労省や福祉事務所の職員たちにもトンネル堀りに参加してほしい。そして、生活に行き詰ってしまった人の道を拓くことに力を注いでほしいと切に願う。

 たくさんの人が力を結集させて、扶養照会のルールが変わり始めている。しかし、この変化に最も大きな影響をもたらしたのは、まぎれもなく当事者の体験談だったと私は確信している。アンケートに答えてくださった大勢の人たち、そして、150人もの方々が、つらい、苦しい体験を寄せてくださった。その悲痛な体験が、言葉が、国を動かした。私はそう思っている。

 声を上げることは決して無駄ではない。


小林美穂子(こばやしみほこ)1968年生まれ、『一般社団法人つくろい東京ファンド』のボランティア・スタッフ。路上での生活から支援を受けてアパート暮らしになった人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネイター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで働き、通訳職、上海での学生生活を経てから生活困窮者支援の活動を始めた。『コロナ禍の東京を駆ける』(岩波書店/共著)を出版。