子どもがもうひとりの実親の存在を確かめようとする自然な反応は、大人側からすれば自分たちが努力して築こうとしている「ふつうの家族」を受け入れようとしない、反抗的な態度のように映ります。継親にとっては、親になろうとする善意や努力を否定されたように感じて、継子の行動を非難・否定することにもつながり、子どもはさらに追い詰められてしまいます。
継親子間に摩擦が生じているのに、同居親が継親の側に立ってしまうと、子どもは家族のなかで疎外感や孤立感を抱え、居場所がなくなってしまいます。その葛藤が、自分を傷つけたり、外で気持ちを発散させたり、問題行動としてあらわれるのも無理ありません。智子さんのように、支援を受けられず進学への希望をあきらめて、早めに家を出ようとしたのも、自分の居場所を家族外に求めようとした行動だと理解できます。
同居親はむしろ、子どもの本音に耳を傾け、離婚・再婚がもたらした喪失に気づき、それを癒すことができる、重要なキーパーソンです。実親子ではない関係を築けるよう、継親とのあいだを仲介・仲裁する役割を果たす必要があるのです。同居親は、子どもの成長発達を見守る「ゲートキーパー(門番)」なのです。
「ふつうの家族」という罠に誘導されている
なぜ、大人側(実親と継親)は、当然のようにふたりの親が揃った「ふつうの家族」を目指してしまうのでしょうか。それは、離婚・再婚後の家族を、初婚と同じような「ふたり親家庭」と見なしてしまう「常識」があるからです。「家族」とは、親ふたりと子どもで1セットという「常識」は、ステップファミリーの当事者だけでなく、社会全体で共有されている強固な価値観(核家族観)でもあります。
この強固な核家族観は、戦後の高度経済成長期に形づくられ、日本社会に広く浸透したものです。離婚・再婚した大人と子どもは、「離婚→ひとり親家庭→(ひとり親の)子連れ再婚→ふたり親家庭(ふつうの家族)」という追加標準コースをたどっていくのが「常識」とみなされるようになりました。「常識」にそってこのようなコースをたどっていくように「罠」をしかけられているともいえます。
常識化した離婚・再婚観の罠へと誘導しているのが、離婚後はひとりの親しか親権をもてない単独親権制と、当事者の合意だけで成立する協議離婚制です。日本の家族法で規定されている、離婚後の単独親権制は、実は明治期の民法から続くものです。当時の家制度の影響により、原則父親が親権をもつことになっていました。高度経済成長期になって、子どもに対する母親の責任が強調されるようになり、この時期に親権は父親から母親へと移行します。子どもが小さいうちは母親の愛情が何よりも必要だという三歳児神話、母性神話が、この家族観を補強してきました。
また、第三者や外部機関がいっさい介入せず、当事者の合意のみで離婚が成立する協議離婚制度も、離婚後の子の養育を保障するように制度改革を行った諸外国に比べて、珍しいものです。別居親が、養育費の支払いや面会交流の継続を通して、離婚後の子の養育に関わる重要な事項についても、当事者の話し合いによって取り決められるだけです。それが反故にされても法的な罰則はありません。また、その取り決めについて、子どもの意思が尊重される機会がないのです。
再婚後は、養子縁組制度を利用して、継親と継子が法的にも実親子のような関係になることを選択しやすくなっています。親権者の配偶者と継子の養子縁組は、その他の縁組であれば必要となる家庭裁判所や、別居親の承諾すらも不要で、簡単に成立します。このような家族制度によって、常識化した離婚・再婚観の罠へと陥っていくように方向付けられているともいえます。
現行の日本の法制度にある、離婚後に子どもが実親のひとりとの関係が断絶されてしまうという重大な欠点に目を向け、世界のトレンドから大きく立ち遅れているという事実を、まず知る必要があります。そのうえで、親の離婚・再婚後も親子が交流を持ち続け、再婚後に家族に加わる継親や、継きょうだい(異父母きょうだい)とは独自の関係を築いていく、「ステップファミリー」という新しい離婚・再婚観を本書では提案しています。
親とは独立した個別の思いや考えを子ども自身が表明する権利、親から適切なケアを受ける権利を保障できるような法制度を、構築する必要があるのではないでしょうか。
菊地真理
1978年生まれ、栃木県宇都宮市出身。2009年、奈良女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。専門は家族社会学、家族関係学。大阪産業大学経済学部准教授。2001年よりステップファミリー研究および当事者支援団体SAJでの活動を始める。共著に『ステップファミリーのきほんをまなぶ 離婚・再婚と子どもたち』『現代家族を読み解く12章』などがある。