目次
Page 1
ー 伸び伸びと過ごした子ども時代
Page 2
ー 視覚的な不便さを工夫でカバー
Page 3
ー 視力を失う日が来ても

 アルビノ(眼皮膚白皮症)は2万人に1人が発症するという遺伝子疾患だ。色素が少ないため、日光を避ける生活を一生、強いられる。アルビノの双子として生まれた北海道出身のりり香さんは、緑内障でさらに視力が低下しているという。「それでもアルビノは私そのもの」と自分らしく生きる姿をSNSで発信。そこに込めた、ある願いとは―。

伸び伸びと過ごした子ども時代

「私の瞳は明るい場所では赤く見え、暗い場所では灰色がかった青に見えるんです」

 そう話すのは、インフルエンサーとして活動する「りり香」さん(23歳)。彼女は生まれつき皮膚や髪、瞳のメラニン色素が不足している遺伝子疾患・アルビノで、も髪も真っ白。アルビノの中にはほかに緑や灰色、紫などの瞳の人もいるんだそう。

「瞳の色素が少ないと目の中に入る光の量を調節できないそうで、なんでもない光でもまぶしいんです。もともと視力が低い上に、明るい光の下ではぼんやりとしか見えません。眼球が動いてしまう『眼振』があるのもはっきり見えない一因ですね」(りり香さん、以下同)

 りり香さんは二卵性双生児。実は妹さんも同じ遺伝子の型のアルビノだ。

「生まれてから、見える世界、というものを体験したことがないので、視覚の比較の仕方がわからない。ただ、同じアルビノでも、視覚的には、妹のほうが見えているように感じています」

 同じ疾患でも程度や症状はさまざま。髪も金色や茶褐色で一見、そうとは見えない人もいるという。妹もいたため幼児期はあまり意識していなかったが、徐々に同年代の子どもたちとの違いを感じるように。

「みんなが走り回って遊ぶような場所で私も走り回るのですが、何かにぶつかったり、つまずいたりすることが多かったんです。それに、みんなが何かを見て話をしているとき、私にはその対象がよく見えないので、何の話をしているのかがわからないんですよ」

 また、日焼け対策をせずに日に当たると、炎症を起こしてが赤く熱を持つことも。

「子どものころから母には『日中はあまり外に出ないで』と言われていましたし、外出時には日焼け止めを塗って長袖を着るといった準備がマストです。私には3歳上の姉がいるのですが、姉はアルビノではないので、すぐに出かけられるんですね。姉の暮らしぶりを目の当たりにし、ちょっとした違いは感じていたように思います」

 不便な生活にならざるを得ない側面がある一方、りり香さんは伸び伸びとした学校生活を送っていたとか。

「外国籍の生徒も多い小学校だったので、見た目で悪目立ちするようなことはありませんでした。先生も友達も、私の外見や体質がみんなとは違う部分があるということも含めて受け入れてくれていましたし、すごく不便な思いをした記憶はないんです」

 アルビノの視覚障害は治療法もなく、眼鏡で視力を矯正することもできない。学校では拡大鏡を使って視覚障害者用に作られた拡大教科書を読み、体育もできる限り参加をしていたそうだ。

「みんなと違う部分があるからこそ、やれることはできるだけみんなに合わせたいという気持ちが強かった。筋トレやストレッチといったひとりでできることはもちろん、球技とかダンスとか、目で見ることが必要な運動もみんなと一緒にやっていました」

 また、放課後には母のすすめで習字を習っていたそうだ。

「教科書を拡大鏡で見るだけだと文字の細かい部分がわからないんですね。習字で字を大きく書くことで、文字のとめるところやはねるところなど、細かい部分まで知ることができました」