旅館近くの商店街関係者が当時の様子について語る。
「当時はまだ有名じゃなかったから、誰かまではわからなかったな。でも、今の嵐とか関ジャニ∞とか、ジャニーズの子たちの合宿所みたいになっていて、とにかくにぎやかだったのは覚えています」
『KYO TO KYO』から2年後、大野は嵐のメンバーに選ばれデビュー。その後、国民的アイドルとなった。舞台での苦労が大きかったぶん、彼にはこの場所への特別な思いがあるのだろう。
「今回の旅行は、事前の予約などはせずに、いきなり旅館を訪ねたそうですよ。旅館のスタッフも、さぞ驚いたでしょうね。外にいるときもかなり堂々としていて、周りに気づかれて大騒ぎにならないか、こっちが心配になっちゃうくらいでした」(同・商店街関係者)
それだけ大野にとっての京都は、“国民的アイドルではない自分”として、リラックスして過ごせる場所なのかも。
デビュー後も連絡を取り続けていた女将
「京都に滞在している間、恋人も交えて旅館のスタッフと一緒に飲みに行くこともあったそうです。今回訪れた旅館には、“嵐の活動が落ち着いたら顔を出したい”と、ずっと前からよく話していましたからね」(大野の知人)
大野が帰ってきたかったのには、旅館の女将の存在もあるという。
「当時の女将の娘さんが、今は女将を継いでいます。彼女とはずっと連絡を取り続けていて、嵐のライブに招待してあげることもあったそうです。Jr.時代の忘れられない時間を過ごした旅館の女将は、大野くんにとって“京都の姉”ともいえる家族のような存在。嵐の活動をいったんやり遂げた報告と、当時支えてもらったことへの感謝を直接伝えたかったのでしょう」(前出・舞台関係者)
コロナ禍で京都の多くの旅館は休業を強いられ、修学旅行やインバウンドの需要がなくなり、苦しい思いをしている。この旅館も同様の状況だが、大野の訪問は明るい出来事になったことだろう。
女将は、週刊女性の取材にこう答えた。
「彼自身は本当に元気にしていたので、それだけは安心したかな」
やっと手に入った自由な生活が走り出している─。