また、彼は改名癖とともに、引っ越し癖があったことでも知られている。その数、なんと93回。なぜそんなに引っ越すのかというと、シンプルに「汚れるから」だ。
彼はまったく自炊をせず、食事をする際は「買う・もらう・出前をとる」の3択だった。しかし、絵に集中したいからゴミ出しなんてしない。包装はそのへんに捨てて、すぐに筆を持つ。その結果、部屋が汚れるので引っ越しをしていたわけなんです。
また、北斎は9月から4月までずっとこたつに入っており、眠くなったらそのまま横になって起きたら絵を描く、という生活を続けていたそうだ。
さらに、絵の邪魔をされたくなかったため、米や薪の業者が請求に来ると、画工料を包みのまま放ったという。Uber eatsの宅配員に、給料がまるまる入った茶封筒を渡すようなものだ。だから北斎は売れっ子画家にも関わらず、ずーっと貧乏だった。
また、彼は人づき合いを極端に敬遠していた。ほとんど世間話をせず、知人にもあいさつしかしなかったという。さらには、人との交流をしたくないので、外出するときはお経を唱えながら歩いていた 。すさまじすぎる奇人っぷりだ。
北斎の向上心が集約された最期の言葉
北斎がここまではちゃめちゃなプライベートを過ごしていたのは、言うまでもなく絵に集中したかったからだ。先述したように、彼は常に初心を忘れず、謙虚かつ真摯(しんし)に作品と向き合っていたんです。
彼は75歳のころに出版した『富嶽百景』の最後に「6歳から絵を描いてきたが、70歳までに描いた絵は全然ダメだ。90歳まで描くときっと極まる 。100歳を超えたら、ようやく生きているような絵を描けるようになるだろう」といった言葉を書いている。
日本絵画に新たなジャンルを確立し、藩主ですら頭を下げて北斎に屏風絵を頼み込むほど、彼の絵は認められていた。しかし、何より北斎自身が、その絵に満足していなかった。ここに、葛飾北斎という人のとんでもない才能があると思う。
彼が生涯で描いた絵の枚数はおよそ3万4000点だ。仮に1日2枚描いたとしても、45年以上かかる。北斎は人物画、漫画、名所絵、妖怪画など、次々にモチーフや作風を変えながら、初心を忘れずに絵を描き続けていた。
そんな北斎は「もう10年……いや、5年生きられたら本物の画家になれただろう」という言葉を最期に、90歳でこの世を去った。江戸時代の平均寿命は30歳代ともいわれる。北斎が驚くほど長生きできた理由の1つには「最後まで向上心をもって絵を描き続けたから」という事実もあるだろう。
(文/ジュウ・ショ)
【PROFILE】
ジュウ・ショ ◎アート・カルチャーライター。大学を卒業後、編集プロダクションに就職。フリーランスとしてサブカル系、アート系Webメディアなどの立ち上げ・運営を経験。コンセプトは「カルチャーを知ると、昨日より作品がおもしろくなる」。美術・文学・アニメ・マンガ・音楽など、堅苦しく書かれがちな話を、深くたのしく伝えていく。note→https://note.com/jusho