「同性愛者は自分ひとりだ」と孤立感を深めた

 一方、田中さんの学生時代は、ネットで交流する時代ではなかった。小学生で同性愛を自覚し、中学のときは同性の同級生を好きになった。

「中学校のころには、歴史上の同性愛者も気になり、図書館に通っていました。ただ、当時は“同性愛者はおかしい、変な人”というイメージが強かった。お笑い番組でも、同性愛のキャラクターはいじられて、気持ち悪がられてナンボでした。“この人たちと同じと思われたら嫌だな”と思い、ほかの人には一切言わないでおこうと」

 中学生のころ、死にたいと思うことがあった。同性愛が原因ではなかったが、いじめを受け、理由もなく突然殴られていた。加えて「同性愛者は自分ひとりだ」と思っていたことも、孤立感を深めた一因だ。

「孤独に押しつぶされそうになったんです。ある夜、眠れず、ひと晩中考えました。でも、夜が明けると、考えていることがばからしくなり“まあ、いいか”と思い直せた」

 ひと晩だけで思いつめることから抜け出せた。持ち前の楽観主義的な性格があったからかもしれない。それでも友人との恋バナはつらかった。

「同級生から“女の子、誰が好き?”と聞かれて答えられず、アイドルや女優、幼なじみの名前を出して、その場をしのぎました。でも、翌日にはクラス中に幼なじみの名前を出したことが知られてしまって。しかもその子には彼氏がいたんですが、呼び出され、なぜか殴られたりしました」

 同性愛を扱う雑誌を購入したこともあるが、孤独を癒せるわけもない。成人になって、インターネットの出会い系サイトで同性と知り合ったが、はっきりとした付き合いには発展しなかった。余計に孤独になっていく。

「素直に“付き合っている”とはいえないあいまいな関係が多く、僕としてはしんどかったです。人間不信になりました。煮え切らない気持ちのとき、有希と出会いました」

養子縁組をして家族になる手段は「違う」

 2人の出会いは'07年12月。地元の性的少数者のコミュニティー『プラウド香川』が主催したクリスマスパーティーだ。田中さんはスタッフだった。友人の紹介で参加した川田さんは、田中さんにひと目惚れ。でも当時、川田さんには彼氏がいた。友人としてイベントに出かけたりする中で、お互いの仕事や人間関係で共通の知人が多いことがわかり、心理的な距離が近づいていく。

 大みそかの前日。川田さんから《遊びに行っていい?》とメールをした。田中さんは《ぜひぜひ》と返した。

「遠距離で付き合っていた彼氏がいたんですが、田中さんに告白しました。“彼氏、いるでしょ?”と言われましたが“別れます”と約束し、交際が始まりました」(川田さん)

 田中さんは告白を受け入れた。当時を振り返り「このころは、恋愛をあきらめていました。ちゃんと付き合ったのは、有希が初めて」と話す。

カフェを開くため自宅をリノベーション中の2人。それを互いに相続できるようにしたいと語る
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 交際を始めて、やがて2人は一緒に住むように。その後結婚を考え始めたのは、12年間、一緒に暮らしたからでもある。中古住宅を購入、内装もした。実質的には2人の共同財産だが、登記上は田中さんの名義だ。

「年齢差は8歳。多分、僕が先に死ぬ。有希に遺産相続させたいのですが現行法ではできません。いずれ家をカフェにする計画があり、そのとき有希を専従者にしたいのですが、同性のパートナーだと難しいと聞きました。養子縁組をして家族になる手段もあります。僕らも考えましたが、戸籍上の“親子”になるのは違うと思ったんです」(田中さん)