貸付を利用する人たちの職種、借金を重ねる経済状況

 リーマンショックのときに打撃を受けたのが主に製造業だったのに比べ、コロナによって影響を受けた職種は幅広い。

 飲食や接客業、営業、タクシー、配送業、観光、宿泊業、建設、建築業、塾やスポーツインストラクターなどの自営業、そして文化芸術に関わるアーティスト、彼らを支える劇場やライブハウス、イベント業界で働く人たち。恐らく影響を受けなかった業種のほうが稀なのではないかと思うほどに、あらゆる方面に、そして特にその裾野部分に大打撃を与えた。

 コロナウィルスの封じ込めに完全な失敗を繰り返したこの国で(現在も失敗を継続中に見える)、度重なる緊急事態宣言に翻弄され、仕事に戻れない人たちはやがて貯金も使い果たしてしまう。今の日本の就労形態や賃金では、ダブルワークに精を出しても、一生懸命節約しても、日々の生活を回すだけでやっとという人は少なくない。

 それでも、コロナ前まではなんとか生活ができていた人たちが、突然、生活困窮した。このころから、ホームレス支援団体などが定期的に開催する炊き出しの列に、コロナ前までは見なかった学生や、幼い子の手を引いた母親や、スーツ姿の男性が並ぶようになった。

激増する炊き出しの行列、貸付に殺到する人々

 最初の緊急事態宣言が発出された去年の春から、筆者は生活困窮してしまった人たちを連れて福祉事務所を訪れている。生活保護の申請を手伝いながら、福祉事務所職員に「これから生活に困る人が急増します。混みはじめてますか?」と聞くと、「そんなことないですね。みんな、社協に行ってるんじゃないですかね?」という答えだった。その答えどおり、都市部数か所の自治体を除けば、どこの福祉事務所もたいていガラガラで、待合席にだれ一人座っていないようなところもあった。

 去年の秋ごろから生活保護申請者が微増をはじめ、その後も毎月増え続けてはいるものの、炊き出しやフードパントリーに並ぶ人の数や、社協に殺到した210万件とは比較もできない。

 5月の連休中、NPOなどで作る支援グループ『新型コロナ災害緊急アクション』が中心となって2日間にわたって開催した『大人食堂』には合計で650人あまりが訪れた。

 5月8日、池袋でホームレス支援をする『TENOHASHI』の食料支援には、371人が並び、350食準備していたお弁当が足りなくなるという事態が起きた。コロナ以前と比べると、実に20倍のコストがかかっているが、「3日ぶりの食事です」という声を聞くとやめるわけにはいかないと悲痛な報告がSNSに上がる。

 その他、各地で開催される支援団体の炊き出し現場でも、訪れる人の数は毎回記録を更新している。共助が限界を超えて、人々を支えようとしている。

 使えないセーフティネットはセーフでもネットでもない。

 どうして人々は食べることにも事欠いているのに生活保護というセーフティネットを使わないのだろう。社協で勤務する知人はこう言う。

「確かに昨年の制度開始時、スピーディに必要な人に生活資金が行きわたるようにするという目的のもとでは貸付は効率的だったでしょう。しかし、その後、感染拡大期間の長期化に伴う貸付期間の延長、再貸付の実施で最大で200万円の債務額になる人もいる中で、貸付が本当にその人の自立のためになるのか、かえって阻害してはいないかという葛藤の中で、職員たちは過労死しそうになりながら事務作業に追われています」

 そして、これは筆者も相談者から直接聞いたことであるが、生活保護を利用しようと窓口に助けを求めに行ったところ、「社協で貸付を受けたらどうか?」と促される事例も多い。生活保護を申請させたくない福祉事務所職員によって、社協の貸付が水際作戦(制度を利用させないよう追い返す)に使われているケースが散見される。

 また、一部の政治家やメディアが煽った「自己責任論」や「生活保護は恥」の概念が強い呪いとなって、生活困窮してしまった人たちを苦しめている。その呪いにがんじがらめにされた人々は生活保護に対する忌避感が強い。そこでハードル低めな貸付に走り、借金を重ねていく。コロナが終息したとて返すあてがない人も。

 厚労省は《生活保護の申請は国民の権利。ためらわずにご相談ください》とホームページに書いているが、これまで長年にわたってかけられた呪いの深さに比べたら、厚労省の言葉は犬笛レベルだ。聞こえない。公助の存在が見えない。公助は一体どこにあるのだろう。

 深い深いマリアナ海溝くらいの深い海の底に、マトリョーショカみたいに何層にも重ねた錆びた鉄の箱の中にでも入ってるのだろうか。