千代子さんが義父との同居を承諾し、介護を担当したのは夫の実家が農家で土地持ちだったからです。特に夫が本家の長男なのが大きなポイントです。なぜなら、先祖代々の遺産は長男が総取りするのが農家や地主の家系では主流だからです。次男や三男、長女などに財産を分け与えれば、その分だけ本家の財産は減りますが、財産が魅力的な金額でなければ、本家の土地や家屋、そして墓を守る人がいなくなってしまうという背景があります。
つまり、法定相続分(法律で決められた相続分)とは別の古い考え方が残っている稀有な地域なのです。借金まみれで貯金はなし、退職金を食いつぶす夫ですから、遺産相続が終わるまで我慢して、まとまった額の遺産が入れば、十分な慰謝料をもらい、離婚しよう。千代子さんはそう考えていたのですが……。
義父の遺言には信じられない内容が
しかし、千代子さんの献身が報われない事態に発展。2年前、義父が入浴中にヒートショックを起こしたのです。救急車を呼んだのは千代子さんでしたが、結局、搬送された病院で死亡を確認。そして後日、葬儀場で義妹が夫に「遺言がある」と耳打ちしてきたのです。後日、郵送で届いた遺言のコピーには信じられない内容が。
「孝美(義妹)にすべて任せる。全財産を譲る」と。義妹が義父の元に顔を出すのは3か月に1回程度。千代子さんは「これだけ一緒にいれば私に不満の1つや2つあったのかも……」と後悔しますが、近くの嫁より遠くの娘のほうがかわいいだなんて。
目が不自由な義父が残すことができるのは公正証書遺言。これは公正役場を通す方法ですが、筆者は「目が見えなくても遺言は作れるんです」と言い添えました。具体的には公証人が義父の話をもとに証書を作成(民法969条2)。義父に読み聞かせ、納得した場合、公証人が代わりに署名することが認められています(同法969条4)。
そして公正役場へ電話で確認したところ、手続きを行ったのは義妹だったことが判明。義父は過去の恩を仇で返してきたのです。千代子さんは「ひどすぎます! 憎くて仕方ありません」と狼狽します。
そこで筆者は「遺留分はどうなったんですか?」と尋ねましたが、「孝美さんはああいう性格なので大変でした」と答えます。
夫は義父の直系卑属なので遺留分(どんな遺言を作成しても残る相続分)が認められており、今回の場合、遺産全体の4分の1。義妹いわく遺産の合計は4000万円。義父が所有していた土地は農地ばかりで売りたくても値がつかず、実家の建物は築40年のボロ家。遺産に計上したのは実家の土地と預貯金だけでした。
10割欲しい妹と10割渡したくない兄(夫)。4000万円をめぐる争いは1年にわたり平行線のまま。業を煮やした夫が家庭裁判所へ遺産分割の調停を申立。「訴訟でも認められないよ」という調停員の叱責が効いたのか、妹はついに観念。「妹が兄へ1000万円を支払う」という内容で調停が成立したのです。
こうして夫が4000万円を総取りするという千代子さんの目論見は外れ、夫が手にしたのは1000万円だけ。義父のせいで夫は3000万円を損したのですが、同時に千代子さんの離婚計画も狂ってしまったのです。
夫は数々のトラブルを抱えつつも、毎月30万円の生活費(毎月12万円の家賃含む)を結婚から現在まで欠かさずに渡してくれたので日々の生活に困らなかったものの、40年間で準備すべき老後資金を全く用意できないまま、リタイア生活をむかえてしまったのです。