加藤浩次、宮迫博之は「考えられへん」
吉本に戻ったのも偶然、吉本の元会長だった林裕章氏と新幹線で遭遇したことがきっかけだった。
「“テンポいい漫才を若手に見せてくれよ”と言われ、俺も漫才がやりたかったから吉本に戻ったんです。
でも自分で取ってきた講演会の仕事で忙しかったし、今までどおり自分で好きなことをしようと辞めただけなんですよ」
最近では、吉本興業から独立したり、エージェント契約にする芸人が増えているが、'07年に吉本を離れ、元祖“独立芸人”ともいえる洋七は、事務所に対してこう話す。
「アホなマネージャーも多かったから100%いい事務所とも思わないけど(笑)。でもアホなマネージャーがついたら、そのエピソードを笑いに変えるのが芸人だと思う。
闇営業騒動のときに、加藤浩次くんが番組を通じて物申したり、宮迫(博之)くんが会見したりと、会社にしっかりした意見を言ってたけど、俺らの時代からしたら考えられん。
俺は吉本のたくさんある劇場に立たせてもらったおかげで、漫才の腕も磨けて、芸人として恵まれた環境だったと思ってます。ほかの事務所よりギャラは安いけどね(笑)。漫才やりたかったら吉本におったらええし、それ以外の才能があったら辞めてもいいと思うよ」
コロナ禍の影響で、講演会が軒並みキャンセルになってしまったそうだが、よかった部分もあると笑いながら語る。
「それまで全国を飛び回っていたこともあり、家のことは奥さんに任せっぱなし。家事をやってくれるのが当たり前と思っていたけど、手伝うようになってこんな大変なことを毎日していたんだって。収入は減ったけど、こんなことがなければ、わからなかっただろうね」
コロナが収束したら、弟弟子にあたる島田紳助らとまた会いたいという。
「大阪で講演会があると、毎年のように飲みに誘ってくれるんよ。去年2月も、俺の誕生日だからと大阪で飲み会を開いてくれたしね。あとは紳助お気に入りの餃子なんかを送ってくれるんです。俺は芸人と話すのが好きだなと実感しているから、コロナが落ち着いたらそんな仲間たちと気兼ねなく会いたいね」