伝説の番組『電波少年』シリーズおもな出来事
▼1992年
・『進め! 電波少年』放送開始。
・松村邦洋のアポなし、突撃取材が話題になる。「村山富市の長い眉毛を切りたい」「羽生善治と将棋をしたい」「渋谷のチーマーを更生させたい」「牛のゲップを吸い切りたい」など。
▼1993年
・番組のマスコットとして、アイドル「電波子」がデビュー。その後妹分としてオーディションにより電波子2〜28号も登場。
▼1996年
・「猿岩石」(有吉弘行、森脇和成)による「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」がスタート。
・ドロンズ(ドロンズ石本、大島直也)による「南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク」がスタート。
▼1998年
・『進め! 電波少年』をリニューアルする形で『進ぬ! 電波少年』がスタート。松村がレギュラーからはずれ、松本明子の単独司会に。
・「朋友(伊藤高史、チューヤン)」による「アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク」がスタート。
・「電波少年的懸賞生活」がスタート。「人は懸賞だけで生きていけるか? 」をテーマに芸人のなすびが目標金額を目指した。
・4月、兄弟番組『雷波少年』が日曜朝の枠でスタート。
・「ドロンズのドンキホーテ! 日本を行く!」が『雷波少年』でスタート。ドロンズがロバの「ロシナンテ」とともに日本列島をヒッチハイクしながら進む企画。
・「電波少年的無人島脱出」が『電波少年』でスタート。Rまにあ(しゅく、中島ゆたか)が自力で筏を作って無人島を脱出するという内容。これは後に「スワンの旅」(スワンボートに乗って旅をする企画)へつながっていく。
・「雷波少年系ラストチャンス」スタート。「オリコン初登場20位以内に入らなければ即解散および音楽業界から足を洗う」というルールの企画にSomething Elseが挑戦。
▼1999年
・1月、『電波少年』の司会をチューヤンに託して松本が一時司会を降板するも4月に復帰し、松本とチューヤンの2人で進行するように。
・当初は司会者のいなかった『雷波少年』の司会を4月よりチューヤンが『電波少年』と兼任することに。
・チューヤンが『電波少年』の企画「80日間世界一周」に参加するため、ロシナンテが10月より代理として進行役を担当。
・「雷波少年系ラストツアー」スタート。半年でロシアを横断する間に運命の1曲を作って日本武道館で公演を行い、1万人の観客動員がなければ解散して音楽業界から足を洗うという企画にBluem of Youthが挑戦。
▼2000年
・華原朋美が全米でCDデビューすることをゼロから目指すという「電波少年的全米デビューへの道」がスタート。この企画で作られた曲『Never Say Never』は15万枚のヒットに。
・「電波少年的東大一直線」がスタート。坂本ちゃんが東大出身の家庭教師ケイコ先生とともに東京大学合格を目指す企画。
・矢部太郎が挑戦した企画「電波少年的○○人を笑わしに行こう」がスタート。さまざまな国の言葉を習得してその国の人を笑わせるというもの。応援歌はTM NETWORKが制作。
▼2001年
・15人の女性がいきなり無人島に連れて行かれる「電波少年的15少女漂流記」がスタート。当時まだ無名の森三中・黒沢かずこや、いとうあさこが参加。
▼2002年
・『電波少年に毛が生えた 最後の聖戦』が土曜夜の1時間枠でスタート。「1クール平均視聴率が13%に達しなければ終了する」という公約をクリアできず、終了。
▼2021年
・『電波少年W 〜あなたのテレビの記憶を集めた〜い!〜』(WOWOWプライム)がスタート。
ドロンズ石本
1973年、広島県生まれ。1996年に大島直也とのコンビ「ドロンズ」で『進め! 電波少年』のヒッチハイク企画に挑戦して人気者に。2007年より東京・恵比寿で「馬肉屋たけし」を経営。実業家としても活躍している。
伊藤高史
1976年、宮城県生まれ。『進ぬ! 電波少年』ヒッチハイク企画に朋友として挑戦。「劇団ウルトラマンション」を主宰。現在は俳優・脚本家として活躍中。TOブックス『リタイヤした人形師のMMO機巧叙事詩@COMIC』ストーリー協力。
坂本ちゃん
1966年、山梨県生まれ。2000年に出演した『進ぬ! 電波少年』の企画「東大一直線」でブレイクし、日本大学文理学部など8校に合格して日本大学に入学。芸能活動の傍ら、個展を開催するなど精力的に活動中。
(取材・文/寺西ジャジューカ)