海外レーベル移籍で「完全に死んだ」
'95年発売の『LOVE LOVE LOVE』はグループ最大のヒットとなる248・9万枚を記録。名実ともに国民的アーティストとなった矢先、ある事件が起きてしまう。
「'96年にキーボードを担当していた西川さんが車で人身事故を起こしてしまい、活動を自粛することになってしまいました。好感度の高いグループだっただけに、イメージダウンは避けられなかったですね」(前出・スポーツ紙記者)
事故の影響もあったのか、翌'97年に突如アメリカのレコード会社に移籍し、世界進出に向けて動きだす。
「彼らには2回転機があるのですが、1度目がこのときの世界進出。アルバム『SING OR DIE』をアメリカで発売したものの、思うような結果は出せませんでした」(大塚さん)
メンバーにとっての大きなチャレンジは、日本での活動にも大きな影響を及ぼすことになる。中村正人は過去に音楽サイトのインタビューで、
《そこで完全に終わりですよね。やっぱり反逆者ですから。いわゆる“業界の掟”を破ったわけで》
と当時を振り返っているように、テレビなどメディアで見る機会が激減した。
「当時は独立や移籍をした人に圧力をかけるのが当たり前の時代。“ドリカムが干されているらしい”という噂はすぐに業界で広まりました」(テレビ局関係者)
中村も件のインタビューで、《テレビ局からは締め出されるし。ラジオでもわれわれの曲はかからない。そこで1度、ドリカムは完全に死にました》
と赤裸々に明かしていた。そして'02年に西川が脱退。同年、覚せい剤所持で逮捕されたことで、さらなる逆風が吹くことになる。
「西川さんの脱退後、自社レーベルを立ち上げてシングルを発売したのですが、西川さんが逮捕されてしまったのは、その直後でした。この事件のせいでまたもやグループのイメージにも大打撃。インディーズなので守ってくれる会社などもなく、メディアではますます扱いづらい存在になってしまいました」(音楽雑誌編集者)